「灯の断片」
外は春から夏になろうとしている‥‥‥じょじょに響き渡る蝉の声。 こんな時は、あの日を思わず思い浮かべる‥‥‥ 自分の意思で外を歩けていた、遠い昔にも感じるあの時に‥‥‥ その日は朝よりこの夏初めての蝉の声がしていた。 いつものように塾に行った秋月は帰りの準備をして、草加の待つ川原に行く事が楽しみなっている自分 「秋月さん、今日も用事ですか?」 急に声がかけられ、振り返ると同じ塾生の一人が声をかけて来た。 「何か私に用事ですか?」 同じ塾生だが、今まで声をかけて来た事も無いのであえて聞き返した。 「いえ‥‥‥最近、治安が悪いので‥‥‥それに、秋月さんが長州藩の人間と会っているって‥‥‥」 「だから?私が誰と付き合おうが、かかわり無いのでは?藩は藩。そこに居る人間が全部同じ考えであると誰が決めたのだ?」 イラつく自分を抑え、答えを返す。 「でも、あなた秋月家の後とりでもあるのですよ」 その塾生の言葉で『ああこの男もか』と思う。 江戸時代に出来た士農工商‥‥‥この考えは、根強い。 開国になれば、この制度は通用しないだろうと思っているのだが、身分に縛られている人間達の考えはすぐに変えられない。 「話はそれだけですか?それならば、私は失礼させていただきます」 これ以上は言っても無駄と思うので、そういい残し横を抜けて塾を出る。 気分は重い‥‥‥先ほどいわれた言葉は重々に解っているつもりだが、改めて言われると足取りも重く、そして‥‥‥先が見えない感じを受けている。 俯き加減の顔を上げると、深呼吸をした。 この先の川原には草加がいる‥‥‥それを思うだけで、秋月の足取りは何故か軽いと感じていた。 「遅くなった」 橋の上に立ち川原を眺めるが、秋月の求める姿かそこに無い。 「帰ったのか?すれ違いか‥‥‥」 先程の事もあり、無意識にため息が出る。 必要以上に自分自身が落ち込んでいることに気づく。 英国大使館の焼き討ち事件、あの後もう一度会ってみたいと思ったが、長州藩だった為に公に逢う事は出来なかった。 塾で英語の受講を認められない。 偶然会った門の前での話を聞いて、呼び止め話をする為に近くの居酒屋に入ってみた。 草加とは同じ考えを持つ者で、いろんなことを話し合った。 英語を習いたいと言う熱意が本物だった事と、もっと草加と話をして見たいと思って、ついあんな言葉を言ってしまった。 普段ならあんな申し出はしなかっただろうが、『何故』引き止めたのだろう? 橋の上で佇むと、川風が夏の夕暮れの心地よい風を運んでくる。 後は、太陽が沈んで行くだけ‥‥‥ 「ふぅ〜〜」 この刻限では草加はもう来ないであろうと思うと、寂しさを感じると思わずため息が出る。 「じゃ〜〜ね。お兄ちゃん」 「また、遊んでね」 「おう、でも俺の暇な時な!!」 橋下の川から大きな声がして、その声に心が躍る。 「草加?」 「あっ、秋月さん。今日遅かったね。そっちに行くから待っていてね」 覗き込むと、草加がふんどしだけの姿で、川遊びをしていた。 周りに居るのは、町民の子供達と見受けられるが、楽しそうな笑顔で居る。 再び心の中に暖かさを感じると、秋月の表情に笑顔が生まれた。 「俺の方が遅くなった、急がなくていいぞ」 秋月は答え、川原に降りる為に橋を急ぎ渡った。 「ごめんね。暑かったから、秋月さんを待っている間に遊びに来ていた子供達と川遊びしちゃった。あっ、今日は遅くなっても大丈夫?」 草加は心配そうに秋月に聞き返し、手ぬぐいで軽く体を拭いていく。 「遅くなるって?俺も大人だぞ」 秋月は苦笑しつつ言い返す。 「うん、でもさ‥‥‥身分高いと、門限とか有りそうだし」 草加は大きな伸びをして、河原においてある着物を手にした。 「袴は?今日は穿いていないのか?」 草加は珍しく着物だけを着ていて、袴がない姿だった。 「暑くってさ。だから袴は置いてきた。それにこの姿の方が楽でしょう」 草加は言いながら、帯を締め始める。 「まあ、確かに楽だな」 秋月は頷きながら、草加をチラッと見る。 引き締まったからだ、少し浅黒い肌、太陽の中走り回って遊んでいたのであろう、自分の白い肌を思い浮かべて、羨ましく思う。 小さい頃、自分も遊びたかった記憶がある。 しかし子供の頃は町に出ることもお付と一緒だったので、したい事も出来なかった秋月は草加に言われ川に目を落とした。 「久しぶりに、水遊びしたら気持ちよかったよ。この川、魚もいるんだよね」 草加は楽しそうに言い返すと、秋月の横に座った。 「そうなんだ‥‥‥知らなかったな」 秋月も驚いて答え返した。 ここでも身分という物の違いに、秋月は苦笑した。 子供は遊びたいと思っても、それによって出来ない事もある。 危険だからと、川遊びも出来なかった為に、友達も上辺だけの関係の自分と、草加には子供の頃には心を許せる友も居たのだろうと思えた。 「何か‥‥‥悔しいな」 微かに心に灯ったモノが、ヤキモチの一種だと気づいたのは、後になってからのことだが この時は思いもつかないことだった。 「何か言った?秋月さん」 草加は秋月の顔を覗き込むように聞き返すが、少しぎこちない笑顔で答えるだけだった。 草加は薄暗くなる前に、場所を移動した。 秋月に見せたい場所があると、それだけを言って川上に沿って歩いていった。 もともと、人の少ない場所であったが其処は誰の居ない‥‥‥ 「草加?」 不安げになり秋月は先を歩く草加に声をかける。 「ごめん、もう少し先だから」 明かりが無いので、草加の表情も見えない夕闇が迫っている時刻だった。 「何処に連れて行く気だ?」 ちょっと声は不安そうになる秋月に、草加はクスリと笑う。 「うん、この先にね。スゴッく綺麗な所を見つけたんだ」 草加は楽しそうに言い返し、秋月の手をキュと握った。 「此処、気をつけてね」 振り返り、足場の悪い所に注意をさせる。 「ああ」 秋月は草加に言われ、手を握られたままで先に進んだ。 言った先は河原で葦が多い茂る所だった。 「此処は?」 秋月が草加に聞き返すと、 「シッ」 指を口の前に1本出して秋月の言葉を止めると、そのままその指を先に差し出した。 その指先を見つめると、暗くなった所に灯りが灯り始めたところだった。 「‥‥‥蛍か‥‥‥」 秋月はそれだけ言葉を紡ぐとその光景に見入っていた。 1匹1匹では弱い光の蛍だが、数があると其処に想像してない灯りがあった。 幻想的な風景に見入ってしまう。 「秋月さんに見て欲しかった‥‥‥綺麗だよね」 草加が秋月の耳元で小さな声で伝える。 大きな声を出したら、この場の物が壊れると思ったのだろう。 事実、秋月もその風景に見入って言葉も出ない状況だった。 水の流れの速くない川べりに、集団が一世に光りだす。 それにつられてかのように、別の集団が‥‥‥さらに、別が‥‥‥ 光の洪水‥‥‥秋月は目を閉じた。 ふと目を開けると、其処には夕闇迫る格子窓 蝉の声もいつの間にか聞こえなくなっていた。 フッと光るものが飛び込んできた。 「‥‥‥」 秋月の指に止まると、光を放つ 腕をゆっくり動かし、視線の先に持ってくると秋月の顔は綻んだ。 昔のままで‥‥‥ 時間よ止まれ‥‥‥ 願わくは‥‥‥ あの時のように‥‥‥ 幸せなままで 障子を少しだけ開けた姿で草加は黙って秋月を見ていた。 格子窓を見つめていた秋月の横顔が少しだけ昔の表情だったので見とれてしまい、入る機会を失っていたのだった。 秋月の手に止まり、ぼんやりと其処が明るくなるので、草加にも格子窓より蛍が飛び込んできたと解った。 フッと微笑む横顔に、昔の秋月を見つけ目頭が熱くなった。 『忘れてない‥‥‥秋月さんも、あの頃の事を』 そう思った瞬間、目頭が熱くなった。 闇の直前に草加は希望を見た。 秋月が心を無くしてない事を気づいたからだ。 秋月が何を言っても、自分は離す気がないと自分の心に再び誓う。 心に秋月の笑顔を留め、草加は微笑んだ。 秋月が顔を上げると、淡い光の中に昔の草加の顔があった。 懐かしい‥‥‥フッと微笑を返した。 不意に手より離れ闇の中に光が舞い、そして格子窓から外に出て行った。 当たりが闇に染まる。 秋月は目を閉じ、再び時を戻して仮面を被った。 心の中に総てを閉じ込めて、草加を咎め、自分に見切りを付けてもらう為に罪を被る。 これから先‥‥‥自分は草加の元には居られないと解っている。 目を閉じた時に蝉の声を聞いた。 あの冬の日の蝉と変わらぬ声だと感じた。 二人の心に思いを残し、蝉の声が響き渡る最後の夏が再び来ようとしていたのだった。 ―――――了――――― 2007・6 sasa |
過去の美しい想い出に縋り希望を見出そうとする草加さんと
それを見ては自分の中の覚悟を固めていく秋月さん・・・
なんて切なく悲しい現実でしょうか
sasaさん、素敵なな作品をありがとうございました