くちなし
ここのところぐずついた天気だった。 梅雨入り前だというのに。 ところが、今日は久し振りの晴天。 気温は上昇していたが、湿度は低い。 初夏の風は、やはり心地よい。 運転している金子もそう思っていのだろう。ほんの少しウィンドウを下げて、小気味いい運転をしていた。 幸いにも、幹線道路の車の流れもよかった。 収録の仕事もスムーズにことが運んだ。 そのことが心地よさを増してもいた。 その心地よさに、後部座席のシートに凭れ、ウトウトとしていた香藤の鼻に、微かな香りが届いた。 ────── !? 少し甘い それでいて奥ゆかしさを感じる そして官能的な部分もある香り 半分眠っていた頭を、ゆっくりと覚醒させながら、そう香藤は思った。 何の香りなのか? 車外を見るものの、とうに陽の暮れた街。どんなにヘッドライトやテールライトが道路を明るく照らしていても、香りの主は確認できなかった。 前の席で運転に集中している金子に訊いてみようか。とも思った。 だが、そう思う頃には、その香りは微塵も感じなくなっていた。 (ねぇ・・・、明日もこの道通るかな?) 諦めきれなくて喉元まで言葉が出かかったが、自分のスケジュールを思い出して開きかけた口を噤んだ。 * * * 「では、岩城さん。もう少し右側・・・そう、そこですね。そこから歩いてフレーム・インで ・・・」 同じ日の昼間。 岩城は野外ロケのため、都内の公園に来ていた。 ようやく訪れた晴天。天候不順のために遅れに遅れた野外ロケを、天気がいいうちに出来るだけ済ませておこうと、何カット分ものシーンを撮っていた。 「そこ、花が入るとマズいな。仕方ない。少し場所をずらすか・・・いいですか?」 花が入ると、季節感が出すぎてしまうということだった。 「ええ、解かりました」 共演の女優が、返事をしていた。 「それにしても凄い香りね。ここに何時間もいたら服や髪にまで香りが移りそうだわ」 撮影場所をずらしたがために、出演者の休憩場所がその花のあるところに移動になったことを受けての言葉だった。 「そうですね。画面には映らなくても、この辺一帯は花の香りがしていますからね。まぁ、画面を通してなら匂いは分からないからいいですけれど」 やや閉口気味の女優の口調とは逆に、岩城はその香りを快く思っていた。 香りは強くとも、その季節でしか感じることの出来ない自然の花や若葉の芳香は、元来植物を育てるのが好きな岩城の気分を落ち着かせるのだ。 職業柄、撮影終了時など花束を貰う機会はある。だが、街路樹や、公園に植えられた花や草木は目で見るのは勿論のこと、その醸し出す香りと空気で自然に季節を感じることができるので、昼夜逆転やスタジオにカンヅメになりがちな俳優という職業をしている身にとっては、それはまた格別の気分なのだ。 だから忙しい時間の合間を縫って、自宅でも植物の世話するのだが。 だが、ごくたまに、それらの草花にどうも嫉妬をする輩がいるのも事実だった。 * * * 「すまん、先にシャワー浴びていいか?」 帰宅するなり、靴を脱ぎながら岩城は言った。 香藤はまだリビングのドアから顔を出したばかりだった。 「どしたの?確かに今日は気温が高かったけど、そんなに汗をかく程じゃないでしょ?」 「ああ・・・でもちょっと・・・な・・・」 そう言いながら浴室に向かった岩城の腕を、香藤が取った。 「ちょっと待ってよ。まだ俺、“おかえり”も言ってない」 腕を引き寄せ、唇を軽く合わせながら出迎えの言葉を囁いた。 「・・・・・・ただいま・・・」 岩城がそう応えるそばから、香藤は腕を岩城の背中に回し、指で髪を梳きながら鼻を押し当てた。 「おい・・・こら・・・!お前は犬か!?」 まとわりつく栗毛の動物と化した香藤を引き剥がそうとするが、一向に離れない。 それどころか、鼻は岩城の髪だけでなく、首筋から上着の肩に押し付けられた。 「ねぇ・・・岩城さん。今日どこへ行ってたの?」 鼻をクンクン鳴らし、香藤は訊いた。 「お前は・・・警察犬なのか・・・?」 溜息をつきながら呆れたように岩城が答えるが、目の前の犬はどうも目当ての匂いに行き着いたらしく、犯人(!?)を離さない。 「何を疑っているのか知らんが、全く疚しいことはしてないからな!今日は連ドラのロケだったんだからな」 「どこ!」 「どこって、カレンダーに書いてあるとおりだぞ」 じぃっと目を凝らして香藤がカレンダーの文字を読む。勿論、岩城を抱き寄せたままだ。 「そこって、どんな花・・・咲いてた?」 思わぬ問いに、少々岩城は拍子抜けした。てっきりどこかへ誰かと行っていたか?などと訊かれると思っていたからだった。 自分でも、少々ヤキモチを焼かれることを期待でもしているのかと苦笑した。 「お前から“花”って単語が出るとはな。ああ、確かに咲いていたぞ。くちなしが園内にかなりの数、植えられていて、俺たち出演者やスッタフが陣取っていたところも香りが凄かったんだ。だから先にシャワーを浴びたいと思っていたんだが・・・って、おい!?」 岩城の腕を取ったまま、香藤は即行でベッドへと ───・・・ ひとしきり岩城の香りを・・・しかも全身・・・を堪能したあと、香藤は陶然とした声で言った。 「うん・・・いい香り。ホント、岩城さんって花・・・だよね・・・」 肩で息をしながら、岩城は“またか”的な気分で香藤の話を聞いていた。 大体、春になれば桜だの梅だの。年がら年中バラだのなんだの数多ある花に自分を喩える香藤の脳内変換に、岩城はついていけない。 アメリカでのプレミア上映のあとだって、ベッドの上で桜が咲くように・・・などと言っていたそうだから。 (あのときは意識が多少飛んでいて、後になってもう一度香藤から聞かされたのだ) 「それで・・・今度は、俺はくちなしとでも言いたいのか・・・」 少々ムッとして言ったのだが、香藤は的を射たように上体を起こして言った。 「そう!そーなんだよ、岩城さん!丁度今日さぁ〜、ホントふわぁ〜ってこの匂いがしてさー。あー、岩城さんだぁー!って思ったら、岩城さんがこの匂いと一緒に帰って来たんだもんv」 黙っていたら延々と香藤の話は続きそうだった。 「まぁ、いい。とにかくシャワーを浴びさせてくれ。この香りは嫌いじゃないが。さすがに食ベ物の匂いと混ざるのは嫌だからな」 「なんか勿体ないな・・・」 とはいえ、香藤も自分の料理のみ味わいたいという岩城の気持ちは尊重したい。 「そんなに言うんなら、くちなしの花を買ってきてやるよ。園芸店で鉢植えが売っているからな」 そう言うことで、岩城はようやくシャワーを浴びられることになった。 * * * その数日後。 きれいにラッピングされた鉢植えが香藤の目の前に置かれた。 随分ときれいなリボンが掛けてあると香藤は不思議に思ったが、葉のところに小さなカードが括りつけられていた。 “少し早いが 誕生日おめでとう 俺をこの花に喩えてくれるのなら この花も俺のように手をかけてやってくれ” 帰宅するなり鉢植えを香藤に手渡すと、さっさとシャワーを浴びに岩城は行ってしまった。 要は照れているのだろう。乱入することも考えたが、カードと花を見ながら香藤は息を吸った。 「やっぱり少し色っぽい匂いだよな」 花弁に鼻を近づけなくとも、一輪しか咲いていない白い花は、その青々とした葉よりも、はるかに強い芳香を漂わせていた。 これでここにある蕾が全て花開いたら、どんなにか甘い空気にここはなるのだろう? 普段は凛としている人が、少しずつ白いシーツの上でその色香を漂わせる様と印象をタブらせて、香藤は花に向かって口角と頬の筋肉を思い切り上げていた。 「・・・・・・お前・・・不気味だぞ?」 シャワーを浴び終えた岩城が、やや引き気味に香藤に言った。 頭の中では自分がこの花にでも喩えられているのだろうことは、察するに余りある。 「まぁ、それだけこの花を気に入ってくれたんなら、さぞかし大事にしてくれそうだな?」 「モチロンだよ!大事にするよ!!」 「そうか、なら安心だな。とにかくくちなしは花よりも葉への愛情のかけ方が大切だからな」 ニッと笑って岩城は言った。 「へ?」 「春から夏にかけては、その若葉を目当てに青虫がよくつくからな。悪い虫がつかないよう、香藤、よろしく頼むぞ」 「ええーーー!そんなぁ〜〜〜!!!」 最愛の人同様、虫がつかないよう、重々注意しなければならなくなった香藤だった。 終 ‘06.06.02. ちづる *どこが誕生日の話なんだか・・・;;; それと、余談なんですが、くちなし(口無し、梔子)の花言葉を。 洗練、優雅、沈黙、純潔、私は幸せです etc・・・ですって。 それに名前の由来ですが、くちなしの実って皆さんご存知ですよね。栗きんとんとか作るときに使われますよね。 あの実は、同じくちなしでも野生種の一重の花のものなんですって。 熟しても口を開けないので、くちなし、と呼ばれるようになったらしいです。 甘い香りといい、花言葉といい、何となく貞操観念のしっかりした岩城さんにお似合いだと思いませんか? |
クチナシの香りは本当に強いです
あの香りで色んなものを惑わしそう(笑)
純潔を初めとする花言葉は岩城さんそのものですが
あの香りの強さも・・・お似合いかもv
香藤くんはいつも酔わされていますものね・・・
ちづるさん、素敵なお話ありがとうございますv