父の日 〜チャイルド シンドローム |
『子供のいないあなたに、私の気持ちが判るわけないわ』 涙を流し訴える女の顔を見つめる男の表情は、苦悩に歪み、いいようのない悲哀を写していた。 『ああ・・・ごめんなさい・・・私・・・こんなことを言うつもりじゃぁ・・・』 顔を覆う女を、男は静かに抱きしめた。そして呟いた。 『判っている・・・俺が悪い・・・こんな選択を迫る俺が・・・』 国境を越えることの出来ない子供を捨てて、男についていくのか、それとも子供と残るのか・・・。 その後30分ほどで、フランスを舞台にしたその映画は、女が男と別れ子供を選ぶ結末で、エピローグを迎えた。 久しぶりの揃っての休日、香藤の誕生日というその日に、2人は昼過ぎから、招待されていた試写会へ足を運んだ。 ハッピーエンドとならない結末は、それなりに、観る側に何かしらの問題を投げかけ、そして、答えを提示せず終結するという、フランス映画らしい造りだった。 その会場の地下駐車場から、香藤が運転する車で表に出ると、夕方に差し掛かった街並みが、穏やかに景色を彩っていた。 やや混雑した道路を信号待ちで停車していると、あちらこちらのビルのウインドウを飾る「父の日」という文字が目に飛び込んできた。 「父の日ってさ・・・」 香藤が何気なく口を開いた。 「ん・・・?」 振り向いた岩城に、香藤が続けた。 「父の日って、母の日とおんなじで、ありがとうって、そういう気持ちを伝える日、だよね」 「ああ・・・そうだろうな」 「でもさ、日頃からそう思ってたら、別に改めて日を決めなくってもいいんじゃん」 「・・・・・日頃から思ってることを、きちんと形なり言葉にして伝える、そういう意味なんじゃないのか?」 「ふう〜ん・・・」 曖昧な反応を返した香藤は、走り出した車のハンドルをゆっくりと裁きながら、再び話し始めた。 「さっきのさ・・・映画・・・岩城さんならどうする?」 「彼女の場合、ってことか?」 「うん」 「そうだな・・・・どうだろう・・・それこそ彼女が言っていた、判りっこない、っていう、そのまんまの状況だからな・・・俺達は・・・」 「そうだけど・・・・」 「まあでも・・・・希望としては・・・もし彼がお前の場合、俺は着いていく、としか判断できないだろうな・・・何を捨てることになっても・・・」 「岩城さん・・・」 「・・ん?」 「押し倒してもいい?」 「・・・・ばか・・・」 「そういったぁ・・一大旋風を巻き起こすようはコメントは、ちゃんと、対処できる場所で口にしくれる?」 「対処・・・・できなくて正解だったな」 「なにそれ・・・」 そうやってまた少し走った。 帰路に向かう車は、2人の気持ちとは反して、なかなかスムーズには進んでくれなかった。 互いの頭には、今朝、岩城が出かけるまでに用意した夕食が思い浮かんでいた。ワインも冷蔵庫に冷えている。車の後ろ座席には、映画を観る前に買っておいたパンとチーズがあり、後はシチューを暖めて、テーブルに向かい合って座ればよかった。 岩城からのプレゼントは、予定外だったが既に相手が身につけている。 今朝、出かける準備をしていたとき、香藤が珍しくシャツを着ては脱いでは悩んでいた。 どうしたんだ?と、岩城が声をかけると、「うん・・・なんか、しっくりこなくってさ・・・」と、再び着ていた黒いシャツを脱いでいた。 そんな香藤に、岩城は少し迷って、結局、今夜渡す予定だったプレゼントをそこで手渡した。 「えっ?何?ひょっとしてプレゼント!?」 そう言って、ラッピングされた箱を手に驚いた香藤は、それでも既に、リボンを外し始めていた。 「今夜・・・渡すつもりだったんだが・・・」 そう少し照れている岩城の前で、香藤は嬉々とした瞳で『ディオール・オム』とロゴの入った箱を開け、中から出てきたブルーグリーンのワッシャーが少し入ったコットンシャツを手にした。 ボタンの飾りを少し派手に入れた、ナチュラルな素材感のソフトコンシャスなデザインだった。 「嬉しい!!!ありがとっ!!岩城さん」 そう言って、シャツを片手に抱きつく香藤に、「誕生日おめでとう」と、岩城は口にし、その頬に軽くキスをした。 「・・その・・・別に・・・無理に今日着て出なくても・・・いいんだぞ」と、ぼそぼそっと告げる岩城に、「何言ってんの、絶対着てく!!」と、香藤は直ぐに袖を通した。 鏡を見て、「凄い!!めちゃくちゃ似合っちゃってない?俺」と、喜ぶ香藤のその姿を見て、岩城も心の中では、ほっとしていた。 どうしようかと迷っていた、その目に映ったブルーグリーンのシャツ。直ぐ香藤の顔を思い浮かべ、似合うに違いない、と、確信して決めてはいた、が、実際どうなのかは、若干不安もあった。 今日、香藤が履いている染むらの入ったジーンズに、このシャツがとても綺麗に映り、岩城は「よかった」と、口にした。 シャツを着て、納得の姿に落ち着くことが出来た香藤は、再び岩城に抱きつき、「ありがと!!大好き!!岩城さん!」と、キスを求めていた。 その姿で、今、香藤は車を運転している。 暫くしてまた香藤が話しかけてきた。 「岩城さん・・・・子供・・・欲しかった?」 「えっ・・・」 「ちょっと・・・唐突だった?こんなとこで」 「・・・・子供って・・・・」 そう小さく呟いたかと思うと、突然、岩城はククッと肩を揺らして笑った。 「な・・何・・?」 「いや・・・ちょっと・・・」 「何?何?」 「・・・・・お前との子なら・・・・欲しくないこともないかな・・・お前と俺の子なら、きっと可愛い子が出来てただろうからな・・・・」 「・・・・岩城さん・・・・事故って死にたい?」 「はっ??」 「そんな・・・天気の話するみたいにさぁ・・・凄いこと言わないでくれる?」 「凄くは・・・ないだろう・・・別に・・・」 そう言って岩城は窓を見た。 ゆっくりと流れる喧騒の中に踊る「父の日」の文字を目の端に捉えながら、果たして香藤はどうなんだろう・・・・、と、岩城は思っていた。果たして香藤は子供を考えないのだろうか、と・・・。 言葉にしたことの裏にあった思い。それは、香藤の子なら可愛い子だろう、相手が誰であれ・・・。 お前はどうなんだ、と、結局、岩城は訊くことが出来なかった。 車がスムーズに走り出した頃、香藤は右手をそっと岩城の膝に置くと、「ねえ」と、呼びかけた。 「何だ?」 そう言って顔を向けた岩城に、膝の上で僅かに右手を滑らせながら、香藤が、「愛してる?」と、訊いた。 「??なんだ?急に・・・?」 「いいじゃん・・・ねえってば・・愛してる?」 返事もなく、フイと顔を正面に向け、岩城はただ黙していた。 直ぐにそんな事が口に出来る性格なら、とっくに今朝から何度も口にしていただろう。 岩城の頬は僅かに赤みが指していた。 「ねえねぇ・・・」 そう言う香藤の手が、少し内側に回りこみ、それでも口を開かない岩城に、やんわりと内腿を揉みながら、もう1度訊いた。 「愛してる?岩城さん・・・・・」 さらに動きを加速させそうな香藤のその手を、岩城の手が掴み、「愛してる」と、口早に言い、横へ退けた。 「もっと・・・気持ちを込めて言って欲しいなぁ・・・」 どうして今更こんなとこでそんな事を言わせたがるのか、と、訊きかけたが、止めて、岩城は顔を香藤の横に近づけ、耳元で「すごく愛してる」と、囁いた。 瞬時に、今度は香藤の頬に朱が差し、「止めてよ!」と、その口が叫んでいた。 「なんだ、お前が言えって、言ったんだろ」 「加減ってもん、知らないの?岩城さん」 そんな香藤を見て、何を言ってるんだか・・こいつは・・と、思いながらも、それでもやはり、そんな香藤を可愛いと思ってしまう自分を知っていた。 と、突然、後10分もしないうちに家に着くはずの車が、急に脇にそれ、僅かな路側に急停車した。 えっ!!と、岩城が驚く間もなく、香藤の顔が迫ってきた。 強引な力で岩城の肩を掴むと、同じく強引な勢いでその唇が岩城を求め、塞いだ。 ううっ!!んんっ!!と、抗う岩城の力を全てねじ伏せ、香藤は容赦なく、舌を絡ませ、吸い付いてきた。 一旦は、渾身の抵抗で香藤を引き剥がした岩城だった、が、まさに極へと吸い寄ってくるような香藤の唇は、再び岩城の口を覆い、執拗に岩城の舌を求め、絡み付いてきた。 そうやって、力を失った岩城の唇を散々貪った後、満足した舌はそこを去っていった。 はぁはぁと、バックシートを背に荒い息をつきながら、岩城はそれでも、「・・お前・・・何・・考えて・・」と、途切れ途切れに苦情を口にした。 「だって・・・キスしたかったんだもん」 そう言った香藤は、何もなかったかのようにハンドルに戻り、車を脇から戻し、走り始めた。 「キス・・したかったって・・・あと少しだろっ・・・家は・・・」 「そのあと少し、が、我慢できなかったんだから、仕方ないじゃん」 キスをしたいと思った、それをストレートに強引に表してくる香藤がいるからこそ、岩城は渇望する前に満たされる。それを知っている岩城は、横で少し笑みを浮かべている香藤を見て、それ以上の文句は言わずに口を閉じた。 それに、こんなひと時が、嫌なわけでもなかった。 時に子供っぽい言動をてらいもなく出来てしまう、そんな香藤は、十分許される範囲でしたたかに我侭で、そして可愛かった。 そんな香藤が、「ねぇ岩城さん。今日は、訊いたらちゃんと答えてくれる?」と、いきなり告げた。「何をだ?」 「だから、さ、愛してる、とか、好き、とか」 「・・・・お前・・・俺を困らせて喜んでるのか?」 「違うよ、だってさ、さっき岩城さん、言ったじゃん、日頃口に出来ないことをきちんと伝える、それが父の日や母の日だって。じゃぁさ、それ、俺達にはないんだからさ、替わりに、誕生日にしてもらってもいいじゃん?」 「そんな・・・屁理屈・・・」 「屁理屈なんかじゃないよ!!ほんとにそう思ったんだよ」 愛する者から贈られたシャツを身に纏い、誕生日、というライトを頭上に照らしながら、思いっきり甘えてくる香藤。 甘えられることも、嫉妬されることも、全て愛されていることの代名詞なのだろうと、そんな事を考えながら岩城は香藤の顔を見ていた。 そうするうち、車は自宅駐車場へ滑り込んでいった。 車を降りる前に、早速、先の提言が実行された。 「ねっ、このシャツ、似合ってる?」 こいつはまったく本当に・・・と、胸で呟きながら、「ああ、良く似合ってる」と、岩城は答えた。たったそれだけで、香藤はとても幸せそうな顔をしていた。 まだ夕方だった、が、帰宅すると、先に風呂へ入ろうという香藤の提案で、とりあえずさっぱりすることにした。 バスタブに2人でつかりながら、香藤は後ろから「ねえ、こうやって俺と入るの、好き?岩城さん」 と、訊いてきた。 先に言われたことなど、すっかり頭から抜けていた岩城だった。 「なに言ってるん・・」 そこまで口に仕掛けた岩城の前に伸びていた香藤の指が、胸の突起をキュっと摘んだ。 そして、もう1度同じことを訊いてきた。 岩城の脳はたたき起こされ、遅ればせながら、「あ・・・あぁ、好きだ」と、おぼつかない答えを口にしていた。 ンフッ、っとほくそえんだ香藤は岩城の頬へ、チュっと、音を立ててキスをした。そして、「俺もすんごい好き!!」と、エコーのかかった声を響かせた。 岩城は、溜息だけはつかないように、そっと息を吐いた。 この子供っぽい提案が、そつなく実行される気配を察知し、岩城は、それならば、しっかり満足してもらうべく、答えることに決めた。 風呂から出ると、2人でキッチンに入り、用意していたものを順次、テーブルへ並べていった。シチューを温めている岩城の傍に立ち、「美味しそう」と、香藤が皿を持ってきた。 「だといいけどな・・」と、言って皿を受け取る岩城に、香藤は、「きっと凄く美味しいよ、俺のこと、考えて作ってくれたんでしょ?」と、言った。 ほらきた、と、心で1人呟きながら、岩城は何気ない風に皿にシチューを注ぎながら、言った。 「そうだな・・・お前が喜んで食べている顔を考えながら作ったから、きっと美味しいだろうな」 一瞬、岩城を擬視した香藤の顔が、見る間に満足げな笑みを湛えるのを見て、クスッと胸の内で笑って、ほら、と言いながら次の皿に手を伸ばした。 テーブルにつくと、ワインを開け、お誕生日おめでとう、と、岩城が声をかけると、ありがと、と、香藤は嬉しそうに笑いながらワインを口にした。 続いてシチューを、「美味しい!!」と言いながら食べる香藤を見て、岩城も幸せな気分に浸っていた。 突然、「はい、岩城さん」という香藤の声とともに、岩城の目の前に、赤いプチトマトがフォークに刺さって差し出されてきた。 「えっ・・・」 瞬間、少し頭が引いていた岩城に、香藤は「食べて」と、フォークを岩城の口に進めた。 僅かに躊躇したが、結局、岩城は口を開き、トマトをその中に収めた。 トマトの先にも、誕生日、というネオンが光っているようだった。 その後、食事が終わり片付けるまで、同様に香藤のゲームは続き、岩城はそのいずれにも変わることなく想いを込めて答えを口にした。 無理をしなくても、言おうと思えば、素直に心の中のことを言葉にするだけでいい。嘘をつくわけでも虚飾するわけでもないので、然程難しくはなかった。 そして、互いにソファーに落ち着いたとき、香藤がやや真面目な口調で訊いてきた。 「ねぇ・・・・岩城さん、俺とこうやって、2人でこの家で過ごすのって・・・寂しい?」 「・・・寂しい・・・?」 予想外の問いかけだった。 やや香藤を覗き込みながら、「寂しい・・・って・・・どういう意味だ?」と、岩城は訊いた。 すると香藤は、両手で岩城の腰を抱きこんで、ややワインで気持ちよくなっている体を、岩城に沿わせた。 「う・・ん・・・だって・・・・俺達2人ってさ・・・・どこまでも2人だから・・・俺が不在だと岩城さん、1人だし・・・岩城さん居ないと、俺が1人だし・・・・」 「当たり前だろ・・・そんなこと・・・」 「・・・うん・・・当たり前・・・」 不思議と、香藤は拍子抜けするほど、その会話をそれ以上続けなかった。 代わりに、岩城の腰を抱いている両手で、そのまま岩城の体を押し倒し、ソファーで重なった。 釈然としない気持ちに、岩城が会話を続けようと口を開きかけたが、それは香藤の口で塞がれた。 舌を求め絡め、粘膜と共に自在に食い荒らした後、荒い息と共に岩城を見下ろす香藤の口が、「岩城さん・・・俺の・・・唇って・・・好き?」と、言葉を落とした。 そんな香藤を下から見上げ、少し胸を波打たせる岩城が、僅かに笑みを浮かべて「ああ・・・お前の唇・・しか、好きじゃない」と答えた。 元のペースに戻った香藤の質問に、少しの安心と、僅かな疑問を感じていた。 しなやかな指先を岩城の濡れた唇に這わせながら、「岩城さん・・・俺の指・・・好き・・・なんだよね・・」と、言い、香藤はその指を中へ忍ばせ、歯裏をなぞった。 返事をする代わりに、香藤の指に舌を絡ませ、岩城は少し吸った。 その指を頬から首筋、そして胸へと這わせながら、耳元で「どうして・・・好きなの・・?」と、香藤が怪しく囁いた。 「どうして・・・って・・」 答えを考えながら、岩城の脳は、次第に思考できなくなってきていた。 胸から腰へ降りる指は、動きを止めることはなく、また、香藤の問いかけも許されることなく、再び岩城の耳をくすぐった。 「ねぇ・・・どうして・・・?」 答えは、その指に否応なく引き出される欲情に後押しされながら、やっと岩城の口をついて出た。 「・・・おまえが・・・・俺を愛してくれる・・・もの・・・・だからだ・・・・」 その途端、「そう・・・じゃぁ、これも好き?」と言いながら、香藤は岩城の中へゆっくりと入っていった。 喉を突くうめき声を引きずりながら、微かに岩城の顎が頷いたようだった。 この世でひとつになれる相手は、この人間しかいない。 ひとつになり、共有し、分かち合う、その相手は永遠にこの人間しかいないと、互いが知っていた。 それは何処までも、ただ2人だけで創りあげていく歴史だった。 2人は万の想いを抱えながら互いの体を求め合い、幾度となく味わったはずの深い快楽のうねりに、まるでそれが初めてであるかのように翻弄され、道を駆け上り、そして互いに精を吐き出した。 嵐のように訪れては去っていった時の余韻に息が切れ、汗が流れ、そして最後は満たされた心を抱きしめて、2人、ソファーで寄り添っていた。 香藤の背に回した腕を僅かに緩めながら、岩城は治まりかけた息遣いの縁で、ポツリと口にした。 「・・・俺は・・・・子供なんか居なくても・・・お前が居れば・・・寂しくない・・・」 ふいに顔を上げた香藤が、「・・・岩城さん・・・」と、呟いていた。 「違うのか・・・?お前が・・・訊きたかったことは・・・・?」 香藤はじっと岩城を見下ろし、少し困ったような表情を浮かべ、「・・・ほんとに・・?」と、呟いた。 岩城の右手がゆっくりと伸びて、香藤の髪をすいた。そして、「ああ・・」と、返事をした。 岩城は次第に判ってきていた。何故、今日、香藤が子供のように我侭に振舞っていたか、を。 それは誕生日であるからと考えていた。しかしそれだけではない、ということが。 映画を観る。そして、外に出て、『父の日』の文字を目にする。 そこに繋がる1本の線が香藤の心に生まれ、聞き分けのいい大人でいることを拒んだのだ。 いつまでも、岩城の前では子供のように振舞える、そんな自分が必要だったに違いない。歳とともに大人になっていくだけではなく、時には常識、という世間のボーダーを越える自分が。 世間が造り上げた「普通」という枠の中で生きない2人にとって、色褪せないときめきは、2人にしか判らない景色が必要だった。 香藤はその景色を造ろうと振る舞い、その結果、口にした「寂しくない?」と言う問いかけ。 生真面目な答えを返す代わりに、岩城は少し軽口をたたいた。 「もう、俺はお前で手一杯だ。これ以上、誰かの面倒はみ切れない」 いつもの、むくれた可愛い苦情が返ってくると思っていたが、予想に反して香藤は笑顔を浮かべた。 「・・なんだ・・・変な奴だな・・・」 そう岩城が言うと、香藤は嬉しそうに、岩城の胸に頭を寝かせた。 「嬉しい・・・」 「・・・?」 「俺の面倒だけみて・・・・・・」 「はっ・・・?」 岩城の胸に横顔を預けたまま、香藤はボソボソと、思いを口にし始めた。 「俺・・・今日、映画観て・・・もし岩城さんならどうするかな・・・って・・・岩城さんは、絶対俺を選ぶって言ってくれたけど・・・でも・・・・・実際、本当にそうなったら・・・違うかもって・・・岩城さんってさ・・・妙なとこ・・・捨て切れないから・・・」 「・・・捨て切れない・・・・?」 「ウン・・・・優しいから・・・切り捨てれないよ・・・あの女の人と同じに・・・さ・・・」 「・・・・それは・・・・お前だって・・・・もしそうなったら」 「ううん、俺は捨てれるよ、全てを捨てて岩城さんに着いてく・・・・俺は決断できる・・・だけど・・・岩城さんはすぐには判断できない・・・きっと・・・後で後悔しても・・さ」 「そんな・・・」 「いいんだよ、それで。それが俺達の凹凸関係のいいとこでもあるんだからさ・・・」 そうだろうか・・・・と、岩城は考え、いや、やはり自分は何を捨ててでも香藤を選ぶだろう、と思った。 それを口にしようとしたとき、香藤が「でもね・・・」と、再び口を開いた。 「でも・・・とにかく、俺は・・・子供は要らないって・・・今日、はっきり思った」 「・・・ほんとうに・・・そうなのか・・?香藤・・・」 「・・・なんで?」 「いや・・・」 岩城は今日車で思ったことを口にしようとしたが、どう言えばいいのか判らなかった。 そんな岩城を見て、香藤は言った。 「ほんとだよ。だってさ・・・岩城さんの1番が俺じゃなくなっちゃうかもしれないじゃん・・・俺が居なくても・・・寂しがってくんないかもしれない・・・・子供が居たら・・・」 重たい空気を軽く突破する香藤の媚薬。この軽さこそが、いつも岩城を救うものだった。 「・・・・お前・・・それ、さっき言ってたことと違うぞ・・・」 「寂しいって思わせたくないけど、寂しがって欲しいのっ!!」 そこまで口にした香藤は、頭を上げて、横にずれながら両手で岩城の体を力を入れて抱きしめた。 両足でも、しっかりと岩城の体に巻きつきながら、香藤が言った。 「映画の彼女・・・凄い苦しんでた・・・・親になるって・・・そういうことなんだって・・・そう思ったら・・・自分の感情以上に優先させなきゃいけないものが出来ちゃうって・・・怖いって思った。岩城さんには・・・・いつまでも・・・迷わず俺の方を向いてて欲しいから・・・俺と同じ重さで選択しなきゃいけないものなんか・・・いらない」 「・・・・お前・・・今日は、全開だな・・・甘えモード・・・」 笑いを含んだ岩城の声に、うん・・ごめん、と、小さく香藤が口にした。 「ばか・・・謝るな」 そう言って、岩城は香藤の唇にキスをしながら、ゆっくりと体を起し、香藤を上から抱き込んだ。 岩城の重みを感じながら、香藤は合わさった唇の隙間から、「岩城さん・・・」と、呼んだ。 香藤の耳を探りながら、岩城が囁いた。 「そんな・・・可愛いこと言われたら・・・抱きたくなるだろ」 瞬間、香藤の中から意識していた子供っぽさが消え、替わりに無意識の幼さが顔を出し、頬を染めていった。 愛する相手を抱いて、そして抱かれることが出来る、こんな幸せは他のなにからも生まれない、と、互いが思っていた。 相手を好きであることが、いつまでも最優先で位置している、永遠に増えることがない家族、それでいい・・・・、それだからいいんだ、と・・・・。 そんな恋人がいたって、いいじゃないかと、岩城が香藤の耳元で告げ、香藤は、うん、と、答えたつもりだった、が、もうその体は岩城に愛される喜びに染まり始め、口から吐き出されるのは熱い吐息だけになっていた。 脳が快楽の幕に閉じられようとする隙間で、きっと岩城はいい父親になっただろう、と、香藤はそんな事を、ふと思い浮かべたりしていた。その姿を少し見てみたかった・・・とも・・・。 それは、全く同じことを、車の中で岩城が思っていたことでもあった。香藤はいい父親になったに違いないと・・・。 自分のことより、相手のもうひとつの、自分でなければあったかもしれない人生の可能性に想いを馳せながら生きる2人は、他の誰よりも美しかった。 2006.05 比類 真 |
家族という人数は増えなくても愛情は何倍にも増えていく・・・
岩城さんの事を考えて少しナーバスな感じの香藤くんに
切なさを感じ、そして改めてふたりの愛の深さを感じさせて貰いましたv
互いにあり得ただろう未来を思い描きながらも今の幸せを
身体いっぱいで感じているふたりに乾杯ですv
比類さん、素敵なお話ありがとうございますv