端午
「ただいまー。」 香藤の声に岩城がリビングから出てきた。 「お帰り。どうした?なんだか疲れてるみたいだな。」 「うん、ちょっとね。でも岩城さんの顔見たら疲れなんか吹っ飛んじゃったよ。」 「バカ・・・」 岩城はいつもの憎まれ口を利きながら労いのキスを贈る。 「ありがと。何よりの栄養補給だよ。」 香藤もキスを返すと肩を並べてリビングに戻った。 ソファーに腰を下ろした香藤は大きく伸びをして首や肩を軽く回した。 「どうしたんだ?今日のロケは余裕あるって言ってなかったか?」 ビールを取りに行っていた岩城はその様子を見て少し心配そうに声をかけた。 「うん、そのはずだったんだけどね。あ、ありがと。」 香藤は手渡されたビールのプルトップを開けるとごくごくと喉を潤した。 岩城も隣に座るとビールを開けて一口飲み先を促すように香藤を見た。 「ロケ先に着いたら未だに鯉のぼりが泳いでる家が何軒かあったんだよ。もう5月終わりなのにさ。」 香藤はそこで言葉を切ってまたビールを口にする。 「6月の設定の話なのにそんなのおかしいじゃん。で、スタッフが一軒一軒頭下げて回って降ろして貰うのに時間かかって、撮りを休憩なしでする羽目になったんだ。」 残りのビールを一気に飲み干した香藤はソファーに背を預けて大きく息をつく。 「なるほどな。それは大変だったな。」 岩城は香藤の頭に手を添えるとそっと自分の肩に凭れかけさせた。 「でも旧暦なら端午の節句は来月だし、今頃鯉のぼりが出ててもそうおかしくはないぞ。」 「そりゃそうだけどさ・・・・・そう言えばちょっと思い出した。」 「何をだ?」 香藤の髪を梳く手を止めないまま岩城が訊ねる。 「鯉のぼりや五月人形って旧暦までとはいかなくても5月の半ばまで出してるとこ多いよね。」 「ああ。」 「家もそうだったんだけど洋子が毎年言ってたんだ。男の子はズルイ。お雛様はすぐにしまわなきゃいけないのにって。」 「ああ、なるほど。確かにお雛様は節句が済んだら早くしまわないとお嫁に行きそびれるってすぐに片付けるからな。」 「うん。洋子ももうちょっと出しておきたいけどお嫁に行けないのは嫌だからって渋々次の日には片付けてた。」 香藤は身体を起こすと膝の上に両肘を置き頬杖をついて懐かしむような笑顔を浮かべた。 「その甲斐あって早くいい人のところへお嫁に行けたじゃないか。」 「あは、そだね。今度機会があったらそう言ってやるよ。」 香藤は追加のビールを取りに行った足でサイドボードの所に行き1枚の写真を持ってきた。 「ねね、この日奈ちゃんの写真のお雛様かなり年代物っぽいよね。」 「ああ、これか?確かに昔から家にある物みたいだからかなり古いだろうな。」 岩城の実家からはことある毎に日奈の写真が送られてきていた。 雅彦の溺愛ぶり親バカぶりが窺えると言うものだ。 香藤が持って来た写真の中の日奈は新しい物と歴史を感じさせる物、二つの雛人形を背に嬉しそうに笑っていた。 「俺たち兄弟は男ばかりだったけど毎年母さんが飾ってたな。ちゃんと出してあげなきゃ可愛そうだって言ってな。」 「そうなんだ。やっぱり優しい人だったんだね。」 「ああ。まあ手入れも兼ねてたんだろうけど。それに親戚の女の子たちが見に来てたしな。」 「そっか、岩城さん家本家だもんね。」 香藤は改めて写真の中の雛人形を見ながらこれを鑑定団に出したらいくら位値がつくだろうと不謹慎な事を考えていた。 「そうだ、岩城さん。雛人形がこんなに立派なら五月人形も凄いのがあるんじゃないの?俺ん家は小さい人形だったけどさ。」 「凄いかどうかは知らんが鎧兜はあったな。尤も俺が中学に上がる頃には節句に出さず7月に虫干しを兼ねて出すだけになってたけどな。」 「そう言えば見せて貰った写真の中にあったような。ああ、でも一回でいいから実物見てみたいな。」 「お前な・・・いい大人が節句飾りを見たいなんて。」 岩城は思わず苦笑する。 「だってさ・・・・生まれた時から毎年岩城さんの成長を見て来たモンだよ。俺が見てみたい思うのは当然じゃん。」 香藤は笑われるのは心外だと言わんばかりに頬を膨らませクッションを抱える。 岩城は相変わらずまっすぐな香藤の思いに胸が熱くなった。 「笑ったりして悪かった。そうだな、いつかお前に見せてやれるといいな。」 そう言うと岩城は香藤の頭をぽんぽんと軽く叩き再び自分の肩に引き寄せた。 それから数日経ったある日、岩城は帰宅するなり香藤に言った。 「なあ香藤、今度のお前の誕生日、一緒に俺の実家に行ってくれないか?」 「え?」 二人はお互いの誕生日にできるだけオフを取るようにしていた。 可能であれば翌日も。心置きなく愛し合うためだ。 今年も何とか二人とも連休が取れ、香藤は当然そういう日を過ごすつもりで岩城もそのつもりでいてくれるものと思っていた。 「もう随分帰ってないから一度親父と久子さんに顔を見せたいんだ。」 「うん、その気持ちは分かるけど・・・」 「新潟の日帰りはちょっときつからこのチャンスに行っておきたいんだ。」 「そりゃ確かにそうだけど・・・」 岩城の気持ちは分かる、それでもその日は自分を最優先にして貰えると思っていただけに香藤はすぐには承知できなかった。 そんな様子を見て岩城はそっと香藤を抱き寄せた。 「お前の誕生日なのに申し訳ないと思ってる。だけど連休なんて次はいつ取れるか分からないだろ?」 確かに今度の連休も両マネージャーの尽力で奇跡的に取れたもので、その後数ヶ月は全くオフのない状態だった。 「お前のご両親に比べると親父も久子さんも年だからできる時に顔を見せておきたいんだ。」 岩城は家出同然に上京して顔を見せられないまま母親を逝かせてしまった事を悔やんでいた。 だから残っている父親、そして今や母同然に思っている久子を人一倍大切にしているのを香藤はよく分かっていた。 「分かったよ。俺の誕生日一緒に新潟に行こう。」 「ありがとう。」 明るい香藤の言葉に岩城は抱き締める腕に力を込めた。 「その代わり前日は早く帰れるようにして貰ったからゆっくり過ごそう。その・・・・・お前が望むならベッドの中でもいい。」 「本当?でも次の日は新潟行くのにいいの?」 香藤は肩を掴んで身体を離し岩城の顔見つめる。その顔は真っ赤に染まっていた。 「出発を午後にすればいい。」 「ヤッター!ありがと、岩城さん。」 今度は香藤がギュッと抱き締めた。 「ただし・・・その・・当日動きが不自然になるようなのは勘弁してくれよ。」 「勿論、分かってるよ。」 そう言うと香藤は岩城の顔中にキスの雨を降らせた。 誕生日前夜、二人は外で待ち合わせ岩城が予約しておいた店でディナーを楽しんだ。 帰宅するとまっすぐ寝室に向かい深いキスを繰り返しながら性急に服を脱がせ合う。 そして縺れるようにベッドに倒れ込むとたっぷり濃密に愛し合った。 幸せな疲労感に包まれて眠りに就いたのは午前3時を過ぎていた。 翌日は9時半近くに起きだし、それから家事を片付け昼食を食べて1時過ぎに出発した。 新潟までは新幹線なら2時間ちょっとなのでそれでも4時前にはに着ける。 タクシーを降り、岩城の実家の門の前に立った香藤は軽く身震いした。 「俺この門の前に立つと未だに緊張するよ。」 「俺が一緒なのにか?」 らしくない言葉に岩城がくすっと笑う。 「だってお義父さん俺の親父より断然威厳あるし、それに・・・俺お義兄さんに嫌われてるし。」 「親父は・・・確かに俺でも恐いと思うが兄貴はまだ仕事だから安心しろ。」 岩城はそう言うと門を潜りすたすたと玄関に向かう。香藤も慌てて後を追った。 「ただいま。」 玄関を開け岩城が声をかけるとすぐに久子が出迎えてくれた。 「京介ぼっちゃまお帰りなさいませ。香藤さんいらっしゃいませ。」 少し遅れて日奈を抱いた冬美も現れる。 「京介さんお帰りなさい。香藤さんようこそいらっしゃいました。」 「義姉さん、久子さんただいま。ご無沙汰しててすみませんでした。」 「こんにちは。おじゃまします。」 「お二人ともお忙しいんですもの仕方ありませんわ。さ、日奈もご挨拶しましょうね。」 「こんにちは。」 冬美の腕の中でピョコっと頭を下げる日奈の愛らしさに二人は目を細める。 通された居間ではすでに岩城の父が待っていた。 岩城はすっと正座して頭を下げた。 「親父ただいま。なかなか帰れなくてすまない。」 香藤も倣って頭を下げる。 「こんにちは、おじゃまします。ご無沙汰していて申し訳ありません。」 「気にせんでいい。二人とも忙しいんだろうからな。今日は二人ともよく帰ってくれた。」 『帰る』という言葉で香藤は改めて自分が岩城の伴侶として認められたようで嬉しくなった。 そこへお茶が運ばれてきて暫し皆で談笑する。 岩城の父が自室に引っ込むのをきっかけに二人も部屋に移動して休むことにした。 今までは岩城の部屋に泊まっていたのだが今日は離れに部屋が用意されていた。 立派な中庭を抜ける渡り廊下通り離れに向かう。 「岩城さん、今日は何で離れなの?」 「万が一お前が盛ってもいいようにだ。」 「えっ?それって・・・」 「ウソだ。」 「なっ・・・・岩城さん!」 ころころと素直に表情を変える香藤に岩城は小さく噴出す。 「酷いよ。笑うなんて。」 拗ねた香藤は岩城を追い越しどかどかと先を行く。 しかし離れに入ってすぐに足を止めた。どの部屋を使うのか分からなかったからだ。 「香藤すまん。悪かった。その先の部屋だ。」 岩城に教えられた部屋の障子を開けた香藤は目を瞠った。 床の間に立派な鎧兜が飾られていたのだ。 「凄い。」と一言発しただけで後は言葉もなく吸い寄せられるように近づきじっと見つめる。 香藤は我知らずに正座をしていた。 障子の傍でその様子を暫く見ていた岩城はゆっくり香藤に近づきそっと肩に手を乗せた。 「岩城さん、これ・・・」 香藤は鎧兜と岩城を交互に見て訊ねる。 「ああ、この前話した鎧兜だ。俺たちの部屋が下なのはこのためだ。これを二階に上げるのは結構大変だし、何かあったら困るからな。」 「そんなことより、7月の虫干しの時にしか出さないんでしょう?何で今・・・・・・・まさか俺のためにわざわざ?」 岩城は優しく微笑んで頷くと香藤の横に正座し鎧兜を見つめた。 「お前と話した後電話して頼んだんだ。これは岩城家からお前にささやかな誕生日プレゼントだよ。」 香藤の瞳が嬉し涙で潤む。 「尤も・・兄貴は素直にそうは言わないだろうけどな。俺と話してる時も散々言い訳してたからな。」 「言い訳ってどんな?」 岩城はその時のことを思い出したのか口元を押さえ笑いを堪える。 「久しぶりに節句に出すのもいいだろうって。」 「節句って・・旧暦にしたって過ぎてるのに?」 「あのな、端午ってのは元は月の最初の午の日って意味だったんだそうだ。『端』は初めの意味があるらしい。」 「ふ〜ん、そうなんだ。」 「で、今月の最初の午の日は明日だから今節句飾りを出しててもおかしくないってのが兄貴の言い分だ。」 電話口で顔を赤くしながら言い訳する雅彦を思い浮かべ二人は笑い出す。 一頻り笑うと二人はまた鎧兜に目を遣る。 「全く・・・兄貴も素直じゃないよな。」 「そだね。でも・・・岩城さんも前は相当素直じゃなかったよ。」 香藤はそう言ってしまってから怒られると思ったが岩城の反応は全く違っていた。 「今でもそんなに素直じゃないさ。・・・お前の前以外ではな。」 岩城の顔が迫ってきて予想外の展開に香藤は思わず退いていまい体勢を崩し後ろに手を着く。 そんな香藤に岩城は更に顔を寄せ不敵に笑う。 「そんなに慌てて・・・・もしかして期待してるのか?」 香藤の顔が一瞬で真っ赤に染まる。 「バカだな。もうじき兄貴が帰ってくるのにする訳ないだろ。期待させて悪いが今はキスだけだ。」 「今・・は・・・?」 岩城は一層顔を朱に染める香藤の後頭部に手を添えてキスをすると反対の手を着いて庇いながらそのまま押し倒す。 そして何度かキスを繰り返した後、抱き寄せて自分の胸に香藤の頬を着けさせた。 広い庭の中の離れは静寂に包まれていて香藤の耳に聞こえるのは岩城の鼓動だけだった。 そのまま時間は流れ障子から差し込む光が弱まりかけた頃香藤が口を開いた。 「岩城さん。」 「ん、何だ?」 「俺、今すっごい幸せ。」 「俺もだ。」 幸せに浸っている二人の耳に僅かに足音が聞こえた。 静寂な空間故に届いたその足音は甘い時間の終わりを告げる。 二人は見詰め合って微笑むと間もなく開かれるであろう障子に向かって正座し姿勢を正した。 終 '06.5.23 グレペン |
読みながら前日にどれだけ頑張っても大丈夫v
岩城さんは魔法の身体だから・・・と思った私は腐っていますね;;
岩城さんのそして岩城家の心遣いがとっても心に染みますねv
最後、足音が聞こえて甘い時間が終わりを告げる・・・というシーンが
すごく印象的です・・・・・vvv
グレペンさん、素敵なお話ありがとうございますv