若葉
香藤が成田空港から岩城の携帯に電話をしてきた時、岩城は衝撃的なその内容… 今からアメリカに行くという香藤の言葉が、始めはよく聞き取れなかった。 あまりにも突然の香藤の渡米話。岩城はショックのあまり、言葉を失いかけた。 「お前、なんで…。俺に相談もなく…。」 「だって岩城さんだって、言ってたでしょ? ぐじぐじ考えるのは俺の性に合わない、考えなしに行動できるのは、お前の最大の武器だ!って」 「それはそうだが…。でもっ…!!」 だが、それは・・・。止めることはできない。それは・・・香藤が将来の役者生命を賭けた決断だから。 ……そこまで考え抜いての決断だったか。 しばらく沈黙する岩城に対して、努めて明るく喋る香藤。あらかじめ準備や申請が必要なところは金子やエージェントに依頼しているから、心配はいらない、後はなんとかなる、と。 ……わかったよ、香藤。頑張れ。きっとお前なら何か掴んでくるはずだから。 受話器越しにこの言葉は言えなかったが、心の中で岩城が唱えたこの言葉を香藤はしっかり感じ取っていた。 長く喋ると別れが辛くなる。そう思ったのか、香藤は事務的に報告をすると明るく 「じゃ、ね。岩城さん。向こうで待ってるから」 と言うと、あっけないぐらい、あっさりと携帯の通信を切った。 ** ** ** ** ** ** ** ** ** 大らかな国、誰にでもチャンスが巡ってくる国アメリカ。世界中から自国では有名なスターが更なる夢を賭けてやってくる場所だ。しかし、その中で頭角を現す スターは極一握り。偉大なエンターテインメントの舞台に上れないまま去っていく。 アメリカ演劇芸術アカデミー(The American Academy of Dramatic Arts)は、ハリウッドの有名な俳優が卒業している名門校である。カリキュラムもユニークで、実践に即したものである。香藤はその中で演劇コース(Acting)を選択した。 このカリキュラムに入って一番苦労したのが、英語である。授業は全てもちろん英語で行われていたので読解力が必要とされた。さらに演技をする上でもネイティブに発音できないことは重要な懸案事項になった。ネイティブに発音できなければ、役者の台詞に説得力が生まれず嘘っぽい演技になってしまう。 アメリカのエンターテインメントで成功するためのネイティブではない人にとって最大の課題は、英語のイントネーションである。イントネーションが悪ければどんな演技も見向きもされない。最初の頃香藤は、どのカリキュラムでも何度も何度も発音を直された。 「ヨージ、そんな発音じゃ、幼稚園の子供たちも理解できないぞ!!」 どんなに演技をしようとも発音がクリアされていないので演技指導どころではない。香藤だけ一人、大きな発声での単語の発音練習が続く。 「ヨージの番になると授業がストップする」 「ここは英語を学ぶ場所じゃないんだから・・・」 あちこちからそんな冷たい言葉が囁かれる。悔しさに身が震える思いだった。演技を学びに来ているのにその演技に至る前の段階で自分は劣っているのか、と思うとやるせなかった。 香藤は許可を取って授業の一部をマイクロマイクで録音した。そして家では何度もその部分をリフレインして発音を叩き込んだ。 最も難点だったのが即興のエチュードである。何しろ言葉がネイティブのように話せない。即興で与えられるテーマを解釈するには英語力は必須だ。渡米したばかりの香藤が即興で演劇を演ずるには、単語力、熟語力とイントネーションを知らなさすぎた。 こういう時、フィラデルフィア出身のヒューが香藤に言葉の意味やイントネーションを教えてくれた。相手役が必要な時は、ヒューが担当してくれることが多かった。 「俺もスパニッシュ系だからネイティブではないけどね」 と、ヒューは謙遜した。母親がスペイン系移民とはいうもののアメリカで生まれ育ったヒューは、母親から教わったイントネーションを治すのに苦労をしていた 時期があったらしく、香藤の良き英語のアドバイザーになった。 ヒューは、感情の起伏が激しいところもなく、静かで、でも陰湿ではなく、冗談を言っては香藤の緊張をやわらげてくれた。ヒューは香藤にとってとてもナチュラルで、日本人といるような気持ちにさせる不思議な存在だった。ヒューは、他の仲間が香藤のことを「ヨージ」と呼ぶのに、一人だけ日本人に近い呼び方で「ヨウジ」と呼んでくれた。 アカデミーでのカリキュラムでは、言葉の意味さえ理解できればこっちのものだった。単語力、イントネーションを克服し始めた香藤は、本来の自信を取り戻しつつあった。特に役の解釈や役づくりには自信があったので、ミニドラマを見ての役どころの解釈では、香藤はすぐに各キャストの心証を掴んで正しい行動傾向を発表し、仲間をうならせた。 香藤をナーバスにさせた問題は、他にもあった。華やかで自由な国、夢を叶える国アメリカの別の顔――時に一部の人々の有色人種に対する風当たりがつらい国なのである。それは旅行者として滞在するときには隠されている部分でもあった。 アカデミーで知り合った仲間たちとパブで待ち合わせをしていたとき、一人早めに着いた香藤は、店の奥のカウンターに座った。当然、店には香藤が入ってきたのを確認した店員がいたが、注文を取りに来ない。しかも香藤の後に入ってきた人には注文を取りに行っている。 ――何故だろう、何か特殊なオーダーの仕方があるのか? 香藤は店内のサインを確認し始めたがそれらしいものはない。仕方なく、この店の注文方法を聞いてみようと「ハーイ!」とか「ワッツ ニュー!」と店員に声をかけたが、一向に振り向かなかった。 しばらくして、アカデミーの友人、リュックとワンダ、ジェイソンがやって来た。香藤が事情を話すと、三人は渋い顔で顔を見合わせた。ジェイソンが重たい雰囲気の中でやさしく香藤に語りかけた。 「気にしないで、ヨージ。よくあることなんだ」 「でも・・・。これが俺達の国の恥部の一つだと思っている人間もいるってこと、判って欲しい」 リュックも続けてため息交じりに香藤に語りかけた。ニューヨーク、シカゴ、ニュージャージーから来た白人の彼らには縁のない話だ。 これがそうなのか・・・よくロケの空き時間に、ヘアメイクやスタイリストたちが海外ロケでの苦労話してくれた。昔は撮影の現場で白人の肌に触らせてもらえなかったこと、店でオーダーを取りに来てもらえなかったこと。同じものを買っても白人とは随分待遇が違っていたことなど。まさかと思って軽く聴いていた話が、自分が今、身を持って体験することになるとは思わなかった。 ――同じ人間なのに・・・どうして・・・。 階級の差ではない、単に自分が日本人というだけで、自分の性格や素性すら見ようとしない人がいる・・・。これまでの人生では感じたことのない寂寥感を香藤は味わった。 アカデミーから家までの道のりに大きな公園がある。雨が降らなければ、この公園に行き一人で英会話のCDを聴いたり、あるいはアカデミーで友人が出来てからは友人たちとここでコークを飲みながらフリスビーをしたり、芝生に寝転びならが演劇の話で盛り上がったり、すっかり憩いの場所となっていた。 今日もこの公園の芝生に座ってヒューと二人でメソドについて語っていた。ある役の恋愛論から発展してそれぞれの恋愛論に行き着いていた。 ノートを閉じるとヒューが香藤に向き直った。 「お前ほどのいい男が、恋人、いないはずないだろう?それに・・・」 香藤が、それに?・・・何?と問いかけると、 「時々・・・一瞬だけど。その人のことを考えてるような時があるから・・・」 と、ヒューがボソッと語った。そんなこと、ないよ、と香藤はかわした。ヒューや、ジェイソンたちはいい奴だと思っている、でも今は、日本での自分のポジションや岩城を含めた自分の日常を置いてここに来ているのだから。 「俺、男にしか惹かれないんだ。だから判るんだよ、ヨウジの気持ちが」 香藤は唖然とした。まさか自分と岩城とのことを? 「調べたよ、ヨウジのこと。アカデミーの最初の頃から発音は悪かったけど芝居に慣れてるみたいだったし。調べたらすぐ判った。ヨウジは有名な俳優なんだって。ポルノムービーからデビューしてすぐに恋人が出来たこと。その恋人が男だってこと」 ・・・本当は知られたくなかったが仕方がない、香藤は黙って芝生に寝転んだ。 「できるだけ日本での自分を隠したかったんだ。自分が役者だと言えば妙な先入 観が入るから。ポルノムービーのことは自分でも気にしてないんだ。恋人が男だってことも別に自分では恥ずかしいことだと思っていないし」 腕枕をしながら観念したように香藤は話し始めた。岩城とのことは恥じることではない。頑なに隠すつもりはなかったが人種も違う馴染みのない地では迂闊に話さない方がコミュニケーションを取りやすいだろうと思っていのだ。 よくわかるよ、とヒューが応じた。しばらく沈黙が続いた。 「でもポルノムービーだから、男が恋人だからって、ヨウジに対する見方は変わらなかった。いや、むしろ好きになったかな?」 そうか、と、笑いながら上体を起こして香藤がヒューを見る。 「はははは。ジョークだよ。いや本当は、発音を必死に直されてがんばっているヨウジがいじらしくて好きになったのかも」 「・・・ああ、あの時。思い出すのも嫌だな。今でも発音は自信ないし・・・」 アカデミーに入りたての頃、英語の発音に苦しんだあの時期が、遠い昔のように思える。ほんの数ヶ月前のことなのに。ヒューが笑っていた顔を引き締めて香藤に向き直った。 「辛かったと思う、あの時。でもお前は逃げずに努力した。偉いよ、凄いことだよ」 「カトウヨウジ、いつの間にかお前が俺の心を占領した」 香藤ははじめのうち、ヒューの言っている意図が判らなかった。 「・・・お前が好きだ」 香藤は唖然とした。アメリカ人の本物のゲイからの熱烈な求愛――香藤にとって初めての経験である。しかしここはアメリカ。あいまいにせず、はっきり言わなければ。このアメリカの地で最も自分を理解している友人を失うかもしれない、でも言わなければ。ヒューとの可能性は、まったくないのだから。香藤は意を決して言った。 「ごめん、ヒュー。君は僕にとってアメリカの友人・・・。それだけ」 ヒューの瞳が揺れている。 「僕の恋人は、岩城さんしかいないから」 香藤は二つ折になった携帯を開くと、ヒューに液晶画面を見せた。岩城が笑っているデジタル写真の画像が明るく光った。いとおしそうに液晶を見つめる香藤。 指で液晶の岩城の顔を撫でた。 「男とか女とかじゃないんだ。僕は岩城さんしか愛さない」 そして携帯を二つ折に閉じるとヒューの目を見ながら香藤は言った。 「永遠に・・・」 ヒューの顔に悲しみが広がったのが分かったが香藤は続けた。 「だから、1%も・・・」 ヒューが頭を振った。 「オーケイ!分かったよ、もう!」 どのくらいの沈黙の後だろう、気まずい空気が漂っていた。香藤もヒューも何を言ったらいいか浮かばなかった。ようやく重たい空気を破って喋りだしたのは、ヒューだった。 「ヨウジ、ハッキリ言ってくれてありがとう!それがお前の俺に対する友情だと分かったよ」 香藤はどう答えたらいいか分からなかった。ただヒューを悲しそうに見つめた。 オイ、やめてくれよ、ヨウジ・・・失恋したのは俺なんだぞ!と、肩を叩く。 「・・・うん」 「嬉しかった・・・」 「・・・・・・」 ヒューの方が香藤に気を使っていた。 「パートナーのこと話してくれてありがとう。勇気がいることだったと思う」 ヒューが俯いた。香藤も重たい口を開けた。 「ヒュー・・・これからどんな風に接したらいいか、今はイメージできないんだ・・・だから、少しナーバスになってしまうけど許してくれ」 「判ってるよ。俺のことを友人として大切に思うからだからだろ?」 「・・・ああ。これからも友だちで居て欲しいって思ってることは確かだから」 ヒューは悲しそうに笑った。香藤にはヒューが偽りのない本気の気持ちで自分に行為を寄せていたことを確信した。自分も岩城に告白した時、そうだったな、と思い出しながら。 「告白は断られたけど・・・ハグぐらいしてもいいだろう?いつも通りに・・・」 ハグはいつものことだ。リュックともジョンソンともハワードともアリーともやってる。でもこのハグはいつもとは違う・・・。少し躊躇したが香藤は頷いて黙ってヒューの抱擁を受け入れた。ヒューの熱いため息が耳元で聞こえた。 「悔しいよ。俺、今ほど日本人に生まれたかったと思ったことはないよ・・・」 ** ** ** ** ** ** ** ** ** 授業の後、今日も香藤はいつもの公園にやってきた。芝生に座ると100メートルぐらい離れた芝生の上で、犬とフリスビーで遊ぶジュニアスクールの子供が遊ぶ様子をしばらく目で追っていた。 風向きが変わってふわりと大きな揺らぎが香藤の長く伸びたサイドの髪を弄った。芝生の上に寝転がって、大きく息を吸って吐き出す。昼下がりの暖かい空気が体中に充満してきた。ケヤキの大木の若葉がサワサワと揺れてスローモーションの様に見えた。 ああ、この感じ――。香藤は自宅でまったりと休日を過ごすときに見るケヤキの若葉を思い出した。春ののどかな日にオフが重なった時、岩城が香藤を膝枕しているときに見る道路を挟んだ向こう側の家の――ケヤキの若葉の揺らぎが記憶によみがえってくる。 若葉の頃は、岩城との始まりを象徴している。 岩城と初めてのTVドラマの収録があった。そのあと岩城のマンションに押しかけた自分。そして、佐和渚の家に二人で行った――あの時、男の岩城を好きになっている自分、そしてそれはもう、どうにも止めようがないことだとわかってしまった自分に気が付いた――。 再び・・・爽やかな風が香藤の頬を撫でた。 「風が気持ちいい…」 ようやくこの街の風に慣れた…気がする。 「でも岩城さん、もうすぐ日本に帰るからね」 (了) 香藤くん! 岩城さんと素敵なお誕生日を迎えられますようにv 春抱き同盟 2006香藤バースディ企画万歳! 2006.06.05 ゆにこ拝 |
渡米した後の香藤くんの暮らしにはすごく興味があります
きっと色んな事を体験し、考え悩んだんじゃないかと思いました
でもきっと彼の持ち味である前向きな姿勢でそれらのことを乗り越えて
いったのだろうなあ・・・・・とv
そしてその香藤くんの心を支えているのは岩城さんへの想いだったのでしょうね
ゆにこさん、素敵なお話ありがとうございますv