炬燵



「・・・岩城さぁ〜ん・・・」

廊下から襖に向かって声をかけたが、返事はなかった。
聞き逃すほど小さな声ではないと思うのだが。
もしやと思い、そっと戸を滑らせると、案の定岩城は背中をこちらに向けたまま、黒髪を畳に零れさせていた。

「もぅ・・・岩城さんったら。こんなことしたら風邪ひいちゃうじゃん」
香藤は呟くものの、語尾にはふふっと笑みが含まれていた。
要は、その風情が可愛くて仕方がなかったのだ。


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正月をとうに過ぎ、小正月も明けた頃になって、ようやくふたりは短いオフを利用して香藤の実家へと年始の挨拶に行くことになった。

本当は、ふたりとも年末年始も然程に仕事が詰め込まれておらず、行こうと思えば元旦でも行けたのだが、香藤がふたりっきりで初詣をしたり、折角揃ったオフで大掃除をしたり、のんびりTVを観たりして過ごしたいと言うので、結局時季を外した訪問となってしまったのだ。
そのふたりの帰省の知らせを聞いて、洋子をはじめとする森口家の家族3人も近況聞きたさに香藤家を訪れていた。
岩城と香藤は、遅れた年始の挨拶もそこそこに、洋介の相手をすることになった。

冷たい風をものともしない子どもに付き合って近所の公園でしばらく遊んだあとは、夕食まで絵本を読むことになった。
薄暗くなってきても、もう少しと強請る洋介に、どうも香藤が提案したようだった。

「え・・・岩城さんは?」
「洋介くんの相手は俺がしているから、お前はお義父さんの相手をしてくるといい」

岩城は、香藤を父親の晩酌の相手をさせるために、ダイニングへと向かわせた。
たまにはそういうのもいいだろう、と岩城思った。
自分と上手くいっている、いっていないは別として、気兼ねなく親子で近況を話し合うのは必要だと思うからだ。
幸い洋介は岩城によく懐いていた。
たまにしか会わないのにもかかわらずに。


炬燵のある和室に陣取ることした。
「さぁ、こっちで読んであげるよ。何がいいかな?」
そう言って、彼へのために用意してきた絵本を何冊か炬燵の上に並べた。
彼は手当たり次第自分の興味をひかれた本を、岩城に手渡し読んでもらっていた。

何冊か読み終わり、
(彼も遊び疲れて眠いだろうに、もういいか・・・)
と岩城が思う頃には、洋介の手にはしっかり次の絵本が握られていた。

「いわきさんってー、すっごくおはなしよむのじょうずだね〜。 よーちえんのせんせぇやー、おかーさんよりもー、じょーず!」

さすがは香藤の甥だと、変なところで岩城は感心した。
が、どんなに小さい子供からでも褒められるのは気分がよかった。
いや、世辞もない、ストレートな賛辞は大人のものよりも心地いい。
岩城はせがまれるままに、次から次へとページを捲っていった。



そこへ夕食の準備が出来たと香藤が呼びにきたのだった。
洋介は座布団を枕にして眠っていた。
その洋介の横で、岩城が添い寝していた。

(ま、仕方ないよね。昨日は家に帰ってきたのは日付が変わってからだったもん。
 それにそこから・・・ね)

そっと音を立てないように岩城に近づき、しゃがみ込むと、コットンシャツの襟のすぐ下 ─── 上から覗き込まないと分からないところにある朱の斑点に目をやり、香藤は笑みを零す。
そして額にかかる少し長い前髪を、そっと指で掬った。

ふたりとも無防備で、そして穏やかな顔をしていた。
特に岩城などは、洋介をいとおしむように、護るように、腕を回していた。

(ホント、こういうときの岩城さんって、マリアだよね)

そして、こんな顔を甥っ子に向けて・・・
と、ほんの少し大人気ない嫉妬心を芽生えさせた。
しかし、疲れ果ててふたり抱き合いながら寝てしまったあと、ふと香藤が目覚めた時に岩城の腕が自分の肩や背中、もしくは腰に回っていることがあるのを思い出した。

その腕の重みを嬉しく感じながらまた眠りについたものだ。
闇の中で自分と寝ているときも、こんな表情をしているのだろうな、と思い直す。

(ま・・・いっか、これも洋介が俺の甥っ子だから・・・だもんね)

本当はじっと、ずっと愛する人の寝顔を眺めていたい。
けれど、廊下を伝わって聞こえてくる食器の音が、宴の開始を予感させる。

(うふふ。岩城さん、びっくりするだろうな。
 岩城さんは遅れた年始の挨拶だと信じて疑ってないもんね)

「ね・・・岩城さん。起きて?」

折角の眠りを妨げるのが忍びなくって、掌でそっと肩を撫でるだけだった。
もちろんそんなことでは、眠り姫の目蓋は開かない。
やはりと思いつつ、また寝顔に魅入ってしまう。

「ねぇ・・・起きて・・・よ」

ほんの少しだけ岩城が身動ぎをする。
軽く閉じられていた唇から僅かに声が漏れた。

「・・・ん・・・」

眉根が細かく痙攣する。
長い睫も。

どんな些細な動きでさえ、一瞬たりとも見逃さない、とでも言うように、そしてこれほどまでに美しく愛しいものはないという思いを込めて、目下の人を見つめた。

薄く開かれ始めた目蓋から、寝起き独特の濡れた瞳が見える ─── と思ったその瞬間、岩城の口から思わぬ吐息混じりの声が漏れた。

「・・・ぁ・・・・・・や・・・」

────── !!!

(なんてぇー声を、なんて場所で出すんだ!?)

と、慌てて香藤が前を押さえながら岩城を揺り動かそうとしたその時、岩城の腕に収まっていたかに見えた洋介が、もぞもぞと岩城の肩越しから頭を覘かせた。
そして
「・・・・・・よう・にぃ・・・ちゃ・・・?」
香藤の姿を認めると、少し悪戯めいた目をしたあと、嬉しそうに言った。

「えへへ、いわきさんってぇー、すっごくおはなしよむのじょうずだね〜。それでね〜、おはなしよむのつかれちゃったみたいだからー、ぼくねむいのー、っていったら、いっしょにねてくれたのー。でねー、いわきさんねー、とってもおかおとか、すべすべなの〜。おとーさんよりもー、おかーさんよりもー、ぼくよりもーすべすべさんなの〜〜。それでね〜、さわったらー、いわきさんねー、きもちよさそうだったの〜〜。あっちこっち、いっぱいさわっちゃった〜〜v ぼくもきもちいいの〜!」

「洋介、お前寝てなかったのか?」
某所を押さえていた掌がふるふると震える。

「うん。だってー、ごはんのまえにねちゃうと、おかーさんにおこられちゃうもん。でもいわきさんねむそうだったからー。ぼくといっしょにねよっていったんだもん。それにね、ねむってるいわきさんのおかおきれいv」

無邪気に話す甥っ子の中に、香藤は自分と同じDNAを見た。
冗談じゃない。
これ以上岩城に心を寄せる人間を作ってはいけない。しかも純粋な岩城のことだ、子供・・・しかも身内にまで嫉妬心を抱いたなどと知ったら頭に拳骨どころの騒ぎでは収まらない。

しかもしかもしかも・・・炬燵でうたた寝をする岩城の顔ときたら、仄かに朱が上っていた。
もしやこれは炬燵で体が温まりすぎたからでなはなく ───?

「ん・・・どうした香藤?」

ようやく覚醒し、半身を起こそうとした岩城の腕を香藤は掴んだ。
「─── ! な・・・何だ!?」
「岩城さん、帰るんだよ!帰るったら帰るの。今すぐ!!」



なにがなんだか分からない岩城の背中に、母親と洋子の叫び声が聞こえた。
「お兄ちゃーん。なんなのー?岩城さんのお誕生日会するんじゃないのォー!?」

「そんなのお前たちでどうにかしてくれ!俺は今から電気屋に行くんだ!」
「はぁ?なに言ってるんだ香藤??」
「そこで岩城さんの誕生日プレゼント買うの!」


岩城の実家では炬燵で・・・
そしてここでも炬燵で ───

美味しいアイテムが自宅にないことに今頃になって気がついた香藤は、ベンツのハンドルを握り、電気屋へと向かいひた走った。





‘06.01.11.
 ちづる

*飲酒運転なんじゃ・・・とご心配してくださった皆さん。
香藤くんが疲れた岩城さんに運転させないようにするため烏龍茶で晩酌の相手をしておりましたこと補足しておきます。
またしても、おバカな話しで大変申し訳ございません。m(__)m

えー将来、結構手強いライバルになりそうです、洋介くん(笑)
香籐家の血かな? 岩城さんの魅力には特に敏感に反応しそうvvv
炬燵を買い求める香藤くん・・・最高ですv
ちづるさん、素敵なお話ありがとうございますv