『なんて読む?』
岩城が仕事を終えて戻ってきたある日‥‥‥ 「岩城さん、質問です。茶碗蒸しの中に入っているぎんなんは始めに食べる?それとも最後まで取っとく?」 家に戻りリビングに入ったとたん、香藤がいきなり聞いてきた。 「香藤‥‥‥なんなんだ?」 驚いて思考が付いていかない。 『ぎんなん‥‥‥って、いちょうの実だよな』 心の中でそう思いつつも、香藤の急な問いに言葉に詰まる。 「そんな難しい問題じゃないって。今日さ、小野塚と宮坂との会話でちょっと出てね。岩城さんはどっちかな?って思っただけなんだよ」 香藤があわてて言い返す。 どうやら、昼に食べたご飯に茶碗蒸しが付いて出たらしかった。 香藤は子供の時、あの黄色の実が大事なものに見えて、最後に食べていたが、宮坂は苦味が嫌いで始めに中から発掘して食べていたし、小野塚にいたっては姉との争奪戦に成る事も会って、蓋を取ったら茶碗蒸しだけを食べていたらしかった。 「人によって‥‥‥それぞれだな‥‥‥」 岩城は感心したように答える。 「でしょう。俺も驚いてね」 香藤が楽しそうに答える。 「で、俺はどうだろうっと思ったわけか‥‥‥」 岩城は理由が解り、笑いながら聞き返した。 「うん、どうなの?」 香藤がワクワクした顔で聞き返す。 その後ろに尻尾がブンブンと振り回されている感じも受ける。 「さあな‥‥‥考えて食べた事無かったな‥‥‥」 岩城は少し考え込んだ後に答えた。 「そうなんだ‥‥‥」 香藤が残念そうに答える。 「でも、茶碗蒸しか‥‥‥美味しい和食を食べに行きたくなったな。落ち鮎にはもう遅いか‥‥‥」 岩城が思い出したように言い返した。 「そうだね。あっ、あそこいってみようよ」 香藤が思い出して言い返した。 「あそこ‥‥‥って?」 岩城が聞き返すが、香藤は携帯を片手に電話をしていたのだった。 「ここって‥‥‥いちょう並木だったんだ」 車で何気なく通る所だった。 不意に視界の端に黄色い明るい物が飛び込んで、顔を上げていちょうを見つけた。 香藤の言葉に岩城も顔を上げる。 「本当だな‥‥‥この近くに住んでいたのに気が付かなかった」 まだ緑色の多い、並木のいちょうを見て感慨気に答える。 此処は今の家に移る前に岩城の住んでいたマンションの近く、その近くにチョクチョク行っていた小料理屋があった。 香藤が電話したのは、其処だった。 引っ越してから遠くなったのだが、季節の物を美味しく食べられる所だったので、年に何回かは通っていた。 しかし、此処最近はご無沙汰だったのも、事実だ。 『弥栄』 久しぶりのその暖簾を二人は懐かしそうに見つめていた。 「入るよ」 香藤が促して店に岩城を押し入れる。 「せかすな」 岩城が苦笑して、暖簾をくぐりドアを開けると 「いらしゃい」 いつもと変わらない、元気な声が二人を迎えたのだった。 「いや〜〜香藤さん、電話ありがとう。岩城さん、久しぶりだね」 顔を見るなり、昔と変わらない様に迎え入れた。 「おやっさんも、元気そうですね」 岩城は答え、昔よく座っていたカウンターに腰を下ろした。 「ホント、ますます元気になってさ」 香藤も答えると岩城の横に腰を下ろした。 「それを言うなら、二人ともだろう?今じゃ、テレビに二人が出ない時は無いって売れっ子になってね」 二人の前に陣を取って、店の板長は答える。 「それって、ほめすぎ」 香藤があわてて言い返し。 「そうですよ‥‥‥まだまだ新人の域をようやく超えた位なんですよ」 岩城も香藤の言葉を肯定した。 「いいって、いいって、で?今日はなんにするの?」 板長が聞き返す。 「久しぶりだし、おまかせでいい?」 香藤が岩城にも板長にも聞くように聞き返すと、 「そうだな‥‥‥楽しみだ」 岩城もそれに同意した。 「あいよ。じゃあ、おまかせだね〜〜〜」 板長の目が楽しそうに輝く。 初めに出された付け出しに銀杏の素上げが入っていた。 綺麗な緑の銀杏に香藤が驚いて見つめる。 「これ、綺麗だね」 香藤が手にとって聞き返す。 「生のぎんなんを油で揚げるとね、こんな緑になるんだよ。熱を加えると黄色になるんだけどね」 板長が答える。 それから先も、板長ご推薦の秋の味覚に二人は舌鼓を打っていた。 「お二人さんは、いちょうがどんな存在か知っているかい?」 食事が進んで、話が弾むようになっていた時、板長から不意にそんな言葉を投げかけられた。 「どんな存在って‥‥‥なじみのある秋の木の一つでしょう」 香藤が、ニッコリ笑って言い返す。 「確かにそうなんだけどね。それは、日本人にとってだけなんだよね」 板長は意地悪そうに言い返す。 そんな二人の会話を楽しんで、岩城は出された日本酒に口をつける。 「ああ、その言い方気になる」 香藤がカウンターの前でズイッと伸びて聞き返す。 「外人に言わせると、生きた化石なんだとさ、いちょうはね。香藤さん、日本以外では、化石でしか見た事の無い木なんだってよ」 板長は楽しそうに言い返す。 「えっ、そうなの?」 香藤が驚いて聞き返す。 板長は次の料理を作りながら、いちょうに付いての話を延々とし始めた。 それに対して香藤は出されたものを口にしては、感心して聞いていたのだった。 最近、忙しかった岩城もゆっくり酒を飲んでいた。 「岩城さん、知っていた?」 香藤が急に岩城に話を振ってきた。 「ああ、何かで聴いた記憶がある‥‥‥って、此処でだったかな?」 板長の会話を聞きつつ、岩城は答える。 「そうだ、香藤」 不意に何かを思い出したように、岩城は香藤に言い返す。 「何?岩城さん?」 香藤は視線を岩城に向ける。 「この二文字、書いてなんと読む?」 岩城はカウンターに指で『銀杏』と二文字を書いて、香藤に聞き返す。 「おや、岩城さん覚えていてくれたんだね。嬉しいね」 板長は嬉しそうに言い返した。 「あの言葉、嬉しかったですから」 岩城は答え、懐かしむように目を細めた。 「二人だけで解っているって‥‥‥ずるい」 そんな二人を見て、香藤がいじけて言い返す。 「知りたかったら、さっきの問題を答える事だ」 岩城は香藤の頭をポンポン叩きながら、なだめるように言い返した。 「ううっ‥‥‥苦手なの知っているくせに」 香藤が板長をチラッと見て言い返す。 「さっきから、答えは香藤さんの口からも出ていますよ」 板長は楽しそうに答えると、その言葉で香藤は考え込んだ。 「う‥‥‥ぅん、あっ‥‥‥れ?まさか‥‥‥ぎんなん?」 しばらく考えていた香藤が不意に顔を上げて聞き返す。 「そうだ‥‥‥当たりだ」 岩城が楽しそうに、でも意地悪そうに言う。 「うわ〜〜〜もう一つだよね」 答えが当たった事に喜びながらも、もう一つの答えを香藤は考え出した。 「香藤さん、ぎんなんに関係することだよ」 板長が助け舟を出した。 「えっ、ぎんなん‥‥‥っていちょうの実だよね」 香藤がその言葉にとっさに反応して、聞き返す。 「甘いけど、当たりだ。香藤」 岩城がいちょうの言葉に反応して、香藤の空のお猪口に徳利から酒を注ぐ。 「えっ、本当?」 香藤は嬉しそうに、岩城の注いだ酒を飲み干した。 「つまり、この文字は一つだけど、意味は二つ持っている。木そのものの名前と、その木に生る実の事だな」 岩城は香藤に説明した。 「それが?岩城さんとおやっさんの間でどんな話になったの?」 香藤が不思議そうに聞き返すと、岩城は嬉しそうに微笑み返した。 「その答えは、私からでいいですかね?今度はお二人に対して」 板長が二人を見て、新しい料理をカウンターに出してから、岩城に問うように言い返してきた。 「うわ〜〜〜二人だけで解るなんて、ヤダ。俺も仲間に入れて!!」 そんな言葉に対して、香藤がダダをこねるように聞き返していた。 「ええ、おやっさんの口から俺も再度、聞きたいですね。あの言葉は、初心に戻れるから」 岩城は、懐かしそうに板長に答える。 「じゃあ、今回はお二人に対して言いますね。えっ〜〜〜コホッ」 板長は二人の前で咳払いをすると、改めて二人の顔を見つめてから、言葉を載せ始めた。 「『銀杏』と書いてなんと読む?これはさっき聞いた問題ですよね。 で、答えは‥‥‥さっきも行った通り、 『ぎんなん』 正解 『いちょう』 それも正解 一つの単語に二つの呼び方。 そして、それぞれに意味を持つ あなた達も、そうなってくれよな。 役の名やタイトルが出た時に、すぐにあなた達の名前が付いて出るように 反対にあなた達の名が出たら、必ずその役の名が筆頭に上がるように そんな役者に、お二人ともなりなさいよ」 その言葉を聞いた香藤は、不意に視線を落とした。 「香藤さん、どうされました?」 板長が驚いて聞き返す。 「良いですよ。感動しているだけです。多分ね。俺もそうだったから‥‥‥おやっさん、一杯いかがですか?御礼に」 岩城が、香藤の背中を叩きながら言い返すと、板長は軽く頷き返し岩城の言葉に甘え、酒を一杯もらったのだった。 香藤は不覚にも目頭が熱くなり、あわてて視線を落としたが岩城が同じだったと聞いて、さらに涙が止まらなくなりそうだった。 暖かい人がいる‥‥‥自分の側にも‥‥‥少し離れた所に‥‥‥ 見守り、大きな人間になる事を期待して、喜んでくれる優しい人たちが‥‥‥ この人達の為にも、さらなる飛躍を香藤は心に決めた。 それも、隣に座る一番大事な人と共に 深く大きく深呼吸して、香藤が顔を上げるまで、岩城と板長は楽しげに話し、食事を楽しんでいたのだった。 「今度は何?」 香藤は顔を上げると、板長に聞き返す。 「そうですね‥‥‥〆のぎんなんの炊き込みご飯と、香の物で」 板長は竹の筒の器にご飯をよそい、二人の前に置いた。 「美味しそう!!」 香藤は嬉しそうに、手に取った。 外のいちょうがさらに色好き始めたような、そんな時間が流れて行ったのだった。 ―――――了――――― 2006・10 sasa |
”おやっさん”いい味出しています!
こうやってふたりを見守っている人もいるんだろうなあ・・・と
温かい気持ちにさせて貰いましたv
思うに・・・香藤くんって結構感激やさんだよね(笑)
そこがまた可愛いのですけどv
sasaさん、素敵なお話ありがとうございますv