萩
ほんの少し、風に秋の気配が感じられるようになった頃に、“また”その話が やってきた。 都心の日中気温は、まだ真夏日を超えていた。 * * * 「ほえっ?ふぉんとのふんとに!?」 「香藤。食べるか言うかのどっちかにしろ・・・」 喉仏を大きく動かして、口内のものをいっぺんに飲み込むと、香藤は身を乗り 出して言った。 「だって、それって、断った。って聞いてたからさぁ!」 驚きよりも、喜びの方が大きいようだった。 「まぁ・・・・・・な。だが、今帰りの車の中で清水さんから言われたんだ」 打診、というより “入れておきましたからね” という、半ば強制的な言葉だった。 だが、その声音に、労わりの色が存分に込められていた。 そして、彼女自身の楽しさが含まれていたような気がしないでもなかった。 ─── 秋の番組改変期 判で押したように、どのTV局も毎年半期に一度。特番だらけになる時期が ある。 新聞のTV欄を、2時間3時間ぶち抜きで行なうクイズ番組。 番宣を兼ねたバラエティ。 総集編と、秘蔵映像を紹介したもの・・・等々 当然、俳優である岩城や香藤にも、何らかのオファーはある。 香藤は、『冬の蝉』の撮影が終わり、露出は大いに結構とばかりに社長に 言われ、各局の特番に名を連ねる予定であった。 無論、マネージャーである金子が吟味したものばかりだったが。 岩城はというと、その殆どをスケジュールの調整が出来ないから、という理 由で事務所側が断っていた。 勿論岩城がそのテの番組が苦手だということも理由だったが。 岩城の性格を考慮し、尚且つ日頃なかなかオフの取れない岩城のために、 番組改変期のちょっとした穴を縫って、1日でも、1時間でも多くの休養を取ら せてあげたいとも思っていたようだった。 特に間近で岩城を見ている清水がだ。 しかし、TV曲の要請も、ある程度受け入れなければならない事務所の事情 もあった。 事務所と局、駆け引きめいたものもあるのだから。 その事情も、長く芸能界にいる岩城とて理解していた。 「うん・・・だからな、清水さんの気持ちは察するし、出来るだけのことはしよ うと思ってはいたんだ。俺ひとりの問題で済まないこともあるしな。事務所だ って、誰某を使う代わりに・・・っていうこともあるだろう・・・」 「うん。でも、岩城さんのスケジュール、大丈夫なの?」 ダイニングの椅子に岩城は深く座り、その背もたれに背を預けた。 「大丈夫・・・というわけじゃないが、そこらへんは事務所に調整を任せるしか ないだろう。それで・・・だ」 「それで?」 「その仕事、内容を変更、というか他のタレントと行き場所を交換してもらっ たんだ。明日にはお前にも連絡が行くと思うが」 つまり、とある旅行番組の特番で、香藤と誰か他のタレントが行く予定だっ た場所を、もう少しスケジュールに余裕があるタレントに引き受けてもらい、 香藤と岩城とで、近場に観光してもらうことになったのだ。 半年前にオファーが来た段階では、岩城と香藤には、どこか外国を旅しても らうことになっていた。 『冬の蝉』のプレミア上映が行なわれたロス。 それに付随して、彼らが結婚式を挙げた教会も回ってもらうという算段だった ようだった。 が、それではスケジュールに無理があるし、あまりにもプライベートなことに 話が及んでしまいそうで、岩城の方が真っ先に断りを入れていたのだった。 「どこでもいいよ。岩城さんと一緒なら!」 あっという間に香藤が立ち上がると、テーブルの向こう側の岩城の横まで行 き、ギュッと岩城を抱きしめた。 「岩城さんとー、1泊旅行〜〜〜♪」 ワンフレーズ歌ったかと思うと、続きは少し呆れたようにしている岩城の唇 と併せながら歌った。 * * * 今回のふたりの旅行先は、国内。 しかも東京から新幹線で一直線、少しばかりの紅葉と温泉、のんびりしたも のだった。 清水のあの“入れておきましたからね”の声音の意味が分かろうというもの だった。 これでは、家にいないというだけで、事実上オフのようなものだった。 カメラマンを始めスタッフ諸々が付いては来るが、香藤の言うとおり、1泊旅 行に他ならない。 当初、香藤に比べて、若干岩城は気乗りしない風であった。 だが、普段の岩城なら、スタッフを連れた大名行列状態に対しては、過剰な までに反応し、香藤にもよそよそしい態度を取りがちになりそうなものなの に、この日は違った。 意外にも現地に着く前の、新幹線の中から心なしか楽しそうだった。 「岩城さん・・・何か楽し・・・そ・う・・・?」 こっそりと。しかし香藤的には1時間以上も我慢したのだと言いたそうに訊い た。 「いや、この新幹線に乗るのは初めてだが、途中まで上越新幹線とルートが 同じだろ?それに、ここら辺は田んぼも見えるしな。少し懐かしいな、って」 「そっか。初めて岩城さんちに行ったとき以外は車だしね。それに、お米!」 岩城に言われて、香藤は外の景色にようやく目を向けた。岩城ばかり見て いたのでは、なる程、色付いた稲は見られない。 「今度またゆっくり新幹線で新潟に行こうか」 「この仕事も終わらないうちから」 と岩城は笑っていたが、窓に映る頭がしっかり頷いていた。 ロケの前からして、ふたりのテンションは上がっていた。 東京からノンストップで、東北随一の大都市へ。 そしてそこから、車で温泉宿に向かった。 県内でも有名な、とある温泉郷。 部屋に入るなり、浴衣だと言ってははしゃぐ香藤と、それを止める岩城。 窓からの景色に岩城が見惚れれば、その岩城に香藤が見惚れ、最大の賛 辞を連呼し、それをまた岩城が止める。 台本になくとも、しっかり監督の希望通りの絵が撮れていった。 更に、料理に舌鼓を打ち始めるや否や、香藤がレシピを女将から聞き出す。 そして女将が下がると、今度は岩城が小声で、 「お前の普段作る料理だって、充分おいしいじゃないか」 と、無自覚な爆弾発言を落とす始末だった。 しかも・・・だ。 翌朝の岩城の艶っぽさといったら!! スタッフの何人かは鼻を押さえ、慌てて食堂から飛び出して行った。 心底心配して、話しかける岩城が、火に油を注いでいた。 ようやくスタッフの症状が治まり、ロケ先に行けば、数多の島々を前に、香 藤が最愛の人の名を連呼していた。 岩城の懇願で、カットを余儀なくされたが。 それでも、そんなところをカットせずとも、充分秋とは思える体温の上昇を、 監督以下体感した。 「スポンサーの喜ぶ顔が目に浮かぶよ」 汗を拭き拭き、監督が眉を下げながら笑っていた。 収録の終盤。 「あと、ここから番組ナレ入ってカブりますんで、岩城さん、香藤さん、適当に 流してください。音声切ってありますから、どうぞご自由に・・・」 集音マイクが下げられるのを見届けてから、意外にも岩城のほうから香藤に 話しかけた。 「なんだか・・・な、オフの一部を晒したような気分だな」 岩城はそう言って苦笑した。 「え、なにそれ〜?」 香藤は笑いながらも、プッと不服そうに頬を膨らませた。 そんな香藤に、岩城は今回の清水をはじめ、事務所の思いと、この仕事を 受けた経緯を話して聞かせた。 「ふぅーん、そうなんだ。 それってウチとは逆だ」 「何がどんな風にだ?」 岩城は首を傾げた。 この仕種が、全国ネットで流れるかと思うと、しまったと思う香藤だったが、 時は既に遅い。 「いや、さ。ウチの社長ったらさ、出られる内に出とけ!出せるもんは何でも 出せ!!とか金子さんに言ってたみたいだからさ」 そう言いながら、香藤は、自分の横に置かれたジャケットを、岩城に羽織ら せようとした。 それは小さな行為だが、全国ネットで放送される、大きな独占欲からの行動 だった。 「はは・・・やり手らしいからな、お前のところの社長さんは」 それでも、香藤のことを思って言っているのだということは、岩城も、そして 香藤も解かってはいるのだが。 香藤の持つジャケットを、岩城は軽く手を上げて辞退した。 そして、昔より少しだけ強かになった岩城が、目の前に広がる景色をもう一 度見て言った。 「ま、お互いの事務所にどんな思惑があろうとも・・・だな、俺たちが、今ここ にいて、季節を感じて楽しんでいることには変わりはないからな」 「そだね。岩城さんと一緒にいられる時間が1分1秒でも長くなった・・・ってこ とだもんね」 そんなふたりの会話は、当然マイクには入っていない。 カメラは、ふたりの和やかな雰囲気を映すのみだった。 何しろ熱々すぎて、監督が思わずカメラを引かせたほどだったのだ。 「全く・・・目の保養というか、毒というか・・・」 カメラには収められていない行きの新幹線の中からおアツいのだから。 それでも視聴率はがっぽり稼いでくれそうだと、やはり強かな業界人はほく そえんでいた。 「はい。それじゃぁ、カーーーット!陽も傾いてきたことだしね」 撮影は無事終了した。 ***** 一方、放送で流れた映像は、というと。 かの芭蕉が、名句を詠った島々を前に、毛氈の敷かれた縁側に座るふたり が映し出されていた。 落雁を食べ、抹茶を飲み終わると、ふと香藤が横に置かれたジャケット を手に取った。 香藤の口が動き、岩城の身体が、香藤のほうに少し傾く。 「岩城さん、寒くない?」 そんな声が聞こえてきそうだった。 「いや、大丈夫だ。お前こそどうなんだ?」 やはりそんな声が聞こえてきそうだった。 秋の風に揺れるふたりの髪、ジャケット、そして萩。 1枚の絵のようだった。 終 ‘06.10.20. ちづる やっぱりいつものように、お笑いチックで・・・(逃);; 尚、何故ひと言しかお題の“萩”が入っていないのに、このお題かというと 、チラッとしか書かれていないふたりの旅行先が、萩が県花である都市だか らです(爆)。 |