晩秋の小さな楽しみ
「明日は立冬か…」 ふと、岩城が呟いた。 熱い夜の気配が残るベッドから抜け出し、遅い朝食とも早い昼食ともつかない食事を取った後。 壁に掛けられたカレンダーのに立ち、大まかなスケジュールを確認していた時だった。 「へ? ナニ?」 ソファーに座り、台本に目を通していた香藤が顔を上げる。 「立冬だよ、立冬。二十四節季の一つ」 「ああ、立春とかの…」 台本をソファーに置いて、香藤が近寄ってくる。 「そう。明日から冬だってことだ」 「じゃ、残り一日の秋を楽しまないとねv」 そう言って、岩城の背後からスルリと腕をまわした。 「残り一日って…。別に暦上の話であって、いきなり変わるわけじゃ。……何してるんだ?」 「ん?」 「この手はなんだと聞いてるんだ」 香藤の両手が、いつの間にか服の上から岩城の身体を妖しく這い回っている。 「え〜? だから、秋を楽しむためじゃんv」 そしてシャツの中や内股へと潜り込んできた。 その手を押さえながら、更に香藤に問いかける。 「この手と、秋に、何の関係があるんだ」 「ん〜。性欲の秋?」 ガツン!! 鈍い音があたりに響いた。 「ったー!! 殴んなくってもいいじゃん、岩城さんってば」 「うるさい! お前がバカなこと言うからだ!!」 頭を抱えてしゃがみ込む香藤を岩城は怒鳴りつけた。 「だいたいなんだ、性欲の秋ってのは。お前の場合、季節に関係なく年中発情してるじゃないか!」 「だってぇ。岩城さん、いっつも色っぽいんだもん」 「人のせいにするな!!」 そう言い捨てて、リビングを出ようとする。 「あっ、岩城さん。どこ行くの?」 追いすがる香藤の声に、岩城が扉の前でピタリと足を止めた。 「今日、俺は読書の秋を楽しむつもりだ。読みたい本が何冊もあるからな。だから邪魔をしたら…」 「邪魔、したら?」 後ろを向いたまま話していた岩城がゆっくりと振り返る。 「今夜は一人で客室で寝る! もちろん鍵を掛けてだ!!」 そして岩城はすたすたと出ていった。 慌てて香藤が後を追う。 「ええっ!? だって久しぶりの二人揃っての連休なんだよ? 明日もオフなんだよ?」 「だからなんだ」 「俺のこの、岩城さんへの熱いパッションはどーなるのさ!!」 「知らん」 「そんなぁ(泣)!!」 二人の階段を登る足音と賑やかな声(主に香藤の喚き声)が、リビングから遠ざかっていった。 パラリ。 本のページを捲る音が、晩秋の午後のやわらかな日差しに溢れたリビングに響く。 岩城はソファーに腰掛けて読書に没頭していた。 その腰には、先程からずっと、香藤が纏わりついている。 岩城の腰に両腕をまわし腹部に顔を埋め、自身の体はソファーの上に投げ出して。 時々、力を入れてキュッと抱きしめたり、額を擦りつけたり、岩城の顔を下から見つめたりした。 その度に岩城の手がポフポフと香藤の頭を軽く叩く。そして大人しくなると、その指に香藤の髪を絡めるのだった。 それでも香藤にとっては、岩城が自分の事以外に夢中になっているのが気にくわない。 腰を掴んでいた手を、ゆっくりと背筋に沿わせて下ろしていく。顔もそっと下ろして際どい所に埋めようとした。 「いてっ」 途端にパシリと頭を強めに叩かれる。 香藤は岩城の意識を惹きつけられたかと、喜色満面で顔を上げた。 だが、当の岩城の目線は活字を追いかけており、見向きもしない。 香藤は唇を尖らせて、すごすごと岩城の大腿に頭を降ろした。岩城の腰に回していた両腕も外した。 そして岩城に背を向けるように寝返りを打つ。 その香藤の頭を、岩城はゆっくりと撫でた。 それはまるで、拗ねた香藤の気持ちを宥めるかのようで。いつしか香藤は心地良くなり、うっとりしていた。 束の間、静かな時間が流れていった。 突然、香藤がガバッと起き上がり、キッチンへと向かう。 大きく空気が動いたことで、漸く、岩城は本から顔を上げた。 見れば香藤が戸棚や冷蔵庫を開けて、何やら確認している。 そしてせわしなく動き回り、バタバタとリビングを出ていった。かと思えば、その手に最近お気に入りのスカジャンと、財布を持って戻って来た。 「岩城さん! 俺、ちょっと買い物に行ってくるから。なんか欲しい物ある?」 「いや、特に無い」 「そ? じゃ、いってきまーす」 そう言って慌ただしく出ていった。 残された岩城の周りに静寂が落ちる。 香藤の背を見送った岩城は、何となく取り残された様な、寂しさともつかない感情に支配されようとしていた。 だが。 「忘れ物、忘れ物♪」 と、戻ってきた香藤に一瞬の感傷が吹き飛ばされる。 「いってきますのチュ〜するの、忘れてたv」 香藤は一直線に岩城に近寄ると、岩城の唇を奪う。 何度か下唇を啄んだ後に舌を軽く絡めた。 そして少し名残惜しげに解放すると、チュッと音を立てて岩城の額にキスを落とした。 「寂しくさせちゃうけど、大人しく待っててね?」 改めていってきますと、極上の笑顔を残して香藤が出ていった。 「……何言ってんだ。バカ」 同じ背中を見送った筈なのに、さっきとは全く違う空気の中。香藤の車の遠ざかる音が聞こえなくなってから、思い出したように岩城は甘い文句を口にした。 「岩城さん、ただいまー。外は天気いいけど、すっげー寒かったよー」 賑やかに出ていった男は、帰ってきても騒がしかった。 買い物袋をダイニングテーブルに置き、 「俺がいなくて寂しくなかった?」 なんて聞きながら岩城に抱きついてくる。 香藤の纏っていた外の冷たい空気が、岩城の鼻腔を擽った。 「おかえり。随分たくさん買ってきたんだな」 香藤を抱き返し、テーブルの上に視線を送って岩城が聞いた。 「ああ、うん。夕飯の材料と、ついでに無くなりそうな物も買ってきたからね」 「おい。仕舞わなくていいのか?」 「岩城さん補充してからー」 香藤は一頻りぎゅうぎゅうと抱きついた後、岩城から離れてキッチンへ向かう。 香藤が動き回る音をBGMに、岩城は本へと意識を戻した。 岩城はあとがきの最後の一文字まで読んで目を閉じた。そのまま余韻を噛み締める。 ふうっと大きく息を吐き出して顔を上げると、香ばしい匂いが届いた。 その匂いと香藤の後ろ姿につられて、キッチンへと歩み寄った。 「あ。岩城さん読み終わったの? ちょうど良かった。ご飯できたよ」 オーブンから大皿を取り出し、振り返った香藤が岩城に気付いて笑顔になる。 「すまん。言ってくれれば手伝ったのに」 「いいから、気にしないでよ。ほら、座って?」 「ああ」 香藤に促されて席についた岩城の目の前に、おかずが並べられていく。 冷えた吟醸酒や味噌汁も置かれ、最後にご飯が盛られた茶碗を渡された。 「今日は栗ご飯にしたんだよ」 「すごいな。たくさん作ったじゃないか」 並べられた料理に目を見張る岩城に、香藤は得意げに胸を張る。 「んふふー。秋の食材で作ってみましたv」 栗ご飯に大根の葉の味噌汁、こんがりと焼かれた秋刀魚。焼き茄子と豆腐の生姜あんかけ、小松菜のなめ茸和え、蓮根の薄切りの酢の物。大皿には茸とベーコン の和風チーズ焼きに、肉じゃが。 彩り良く綺麗に盛り付けられたそれらの料理は、岩城の目だけではなく、舌も楽しませた。 「…美味い」 「ホント?良かったー」 内心緊張していた香藤はホッとする。 「作るの大変だったんじゃないのか? 」 「全然。手の込んだ料理じゃないからさ。簡単だったよ」 「本当に? この肉じゃがなんて味が充分染みてるし、このチーズ焼きだって手間がかかるんだろ?」 「肉じゃがは、出来上がってから一回冷やすと中まで味が染みるんだよ。1日置くと美味しくなるって原理と一緒なんだって。こっちのはベーコンと茸を醤油で炒めてチーズ乗っけてオーブンで焼いて、刻んだ海苔をかければいいだけだし」 「栗ご飯はどうしたんだ?」 「市販の栗ご飯の素を入れて普通に炊いただけ」 「それだけの割には、おこわみたいじゃないか」 「それはねー。久子さんにコツを聞いたんだ。もち米を少し混ぜて炊くんだって」 普段のご飯にも混ぜると良いみたいと、香藤は続ける。 「久子さんにって、いつ聞いたんだ?」 岩城の問いに、この間、と気軽に答える。 更に聞けばしょっちゅう電話をしているらしい。どうやら、滅多に連絡をしない岩城に代わって、岩城の近況を報告しているようだ。 にこやかに話す香藤を見て、岩城は視線を落とすとため息をついた。 「どしたの?岩城さん」 気落ちした風の岩城に香藤が声をかける。 「香藤にばかり負担をかけてるな。俺だけ自分の楽しみを優先させて…」 「な、なに言ってんの? 俺だって自分の楽しみを優先させてるってば」 慌てて香藤は続ける。 「岩城さんの世話すんのは、岩城さんの喜ぶ顔を俺が見たいからだよ? それが俺の楽しみの1つなんだから。こればっかりは、岩城さんにもジャマさせないからね」 だが、岩城は顔を上げない。もそもそと料理を口に運ぶだけだ。 「え〜と、じゃあさ。明日デートしてくれる? それで許したげる」 「そんなことで良いのか?」 香藤の苦し紛れの提案に、岩城はちろりと視線を向けた。 その上目遣いに香藤は一瞬、くらりと目眩を起こす。それでも理性を総動員して岩城に笑顔を見せた。 「もちろん! なんならずっと手を繋いでデートしよっか」 「バカ。そんな恥ずかしい真似できるか!」 「え〜? まあ、いいけど。…さて、明日の予定も決まったことだし。ご飯食べよ? あったかいうちにね」 顔を真っ赤にする岩城を促し、食事を再開する。 岩城も素直に料理を味わうために、箸を持ち直した。 後片付けが終わり、香藤はカレンダーの前に立った。 その右手には赤のマジックペン。 にたりと笑み崩れた顔で、明日の日付の数字をハートで囲む。そして、その下の余白部分にはデートの文字が踊った。 岩城は呆れた顔で見ていたが、香藤の背後からスルリと腕をまわした。 「香藤。最後の秋の夜はお前につきあうぞ? もちろん…」 そう言って何事か香藤の耳に囁く。 「もう、岩城さんたらーv」 香藤は岩城の腕の中で身体を反転させると、岩城を抱きしめ顔中にキスの雨を降らせた。 「行こ。ベッドでたっぷり楽しませてね」 そして岩城の腰に左腕をまわしたまま、寝室へ向かうべく歩き出す。 「ほどほどにしろよ? 明日は出かけるんだろ」 「ほどほど? 岩城さん、ほどほどで満足出来るの?」 「当たり前だ」 「そっかなー。後で文句言わないでよ」 「言うか」 リビングの照明が落とされ、パタリと扉が閉じられる。そして、寄り添う影が階段を登っていった。 2人の熱く長い夜が始まるのは、これからだった。 end 2006.10. 玖美 |
岩城さんが膝枕で香藤くんを甘やかしている図って大好きなので
ニヤニヤしてしまいましたv いいですねえv
ああ、香藤くんの料理本当に食べてみたいです!!(^o^)
これから熱い夜が始まるのですね〜vvvv
玖美さん、素敵な作品ありがとうございますv