贅沢なSleepers




紅葉の錦、とはよく言ったもので、見事な色の競演である。
彼は一言、ああ、凄いな、と呟いたきり、後はどこかぼんやりと樹々の重なりを見上げているばかりだ。
黒目がちな瞳が、早朝の仄青い光を受けて潤んだように光るのを私はうっとりと眺めた。
赤色が照り返し、白い頬を温かくする。
狙い通り、あの時とは全く違う。やはりこのキャスティングは最善の選択だった。

十月十八日。
私たちは、とある電器メーカーが発売する新型テレビのCM撮影のため、北見を訪れている。
来る十二月、全国的に地上波デジタル放送が開始されるのにあわせた関連商品の開発合戦。
広告業界では、その数ヶ月前からコピーやCMの企画提案が始まっていた。
私たちのチームはつまり、コンペに勝ったのだった。

コンテは、至ってオーソドックスなものだ。
映像と音声の美しさを、季節の情景の中に立つ俳優で表現する。
同様の提案をした他社との違いがあったとすれば、それはキャスティングだ。美しさを表現する場合に女性をキャスティングすることはCM業界では暗黙の了解といってもいいが、今回は敢えて彼を、岩城京介を起用した。

緑、黄、青、黒、白、そして赤。
一本ごとに一つの色をピックアップし、三ヶ月間、一月に2パターンずつ6パターンの放送。既に九月のうちに中国に飛び、雪原で渡りの支度を始める白鳥とのシーンを撮影済だが、「赤」は、紅葉が最も美しくなるのを待って、ぎりぎりの撮影、すぐに編集してOAとなる。
あちこちに頭を下げての強行スケジュールだが、満足していた。
私はどの色よりも「赤」を撮りたくて彼を起用したのだから。



「その葉には触らないほうがいいですよ」
いつからこちらを見ていたのか、やんわりと声を掛けられた。
無意識に手を掛けていた木の幹に、鮮やかな朱色の蔦が這い上がっている。
「ツタウルシはひどくかぶれる」
入念にファインダーの色を確かめていたチーフカメラマンの広田が、おや、という顔をした。
「詳しいんだね、岩城さん」
子どもの頃ひどい目にあって、とはにかんでから、彼はするりと身につけていたベンチコートを脱いでマネージャーの清水女史に預けた。広田がそろそろ彼と紅葉とのバランスを見たいと思っているのを察したのだろう。
やや胸の開いたオフホワイトのローンシャツは気の毒に寒々しいが、質感を強調するため已むを得ない。
「どうしましょうか?」「そうねぇ…」私は少し考えて
「じゃあ、ここに横たわって頂くことにしましょうか、これまでのはどれも立ちだったから」
「だったらここにもう少し落ち葉を足したほうがいいな、匡子さん」
広田は足元を確かめながら「身体が沈んだほうが立体感が出る。それに…」
「その方が寝慣れたベッドに近いでしょ?」ガンマイクを構えていた牛嶋が、何を想像したのか音を立てそうな勢いで真っ赤になった。










香藤は悩んでいた。
飽きもせず懲りもせず、例によって唯一最後と決めている恋についてだが。
CM撮影から二週間ぶりに帰宅した恋人を腕に抱きこんだまま、口を開いては閉じ、また開いては閉じ、何も訊けずにいる。

かつての自分であれば、肩を揺すぶるなり癇癪を起こして怒鳴りつけるなりして問い質したのだろうが、そうはしたくなかった。
これまでに、この愛しい人をひどく責めて後悔しなかったことなど一度もない。
彼の伴侶は、自覚のあるなしに関わらず物凄くもてるが、それ以上に節操のあるひとであったので。
そんなわけで、嫉妬だか激情だかなんだか分からないものに煽られて振り上げた手の
ひらは、火急的速やかに元の位置に戻した。
如何に香藤洋二といえども、連れ添って十年も経てば大人にもなる。

しかし、だとしたら、目の前の象牙色の背中にいくつも残る、この桜の花びらのような痕は一体なんだろう。まさか、それと気取られずにこの背に吸い付ける人間が自分のほかにいるとも思えないが。

「あったかいな…」「え?ああ、うん、お風呂だから…」
自分の間の抜けた受け応えに思わず赤面したが、岩城が気にした様子はない。
「今日は朝早くから山の中で、すごく寒かったんだ」

稚い物言いだ。
香藤は恋人のこうした様子がとても好きだった。
―…彼が、自分の腕の中で穏やかに安らいでいる。
しかめっ面のまま、こらえきれずに口元だけをほころばせた香藤の様子に、やはり岩城は気がつかなかった。

「紅葉の中に寝てくれと言われて、寝たら、寝返りをうってくれと言われて」
「寝返り?」「そう、自分のベッドにいるつもりでそうしてくれって」
「したの?そのつもりで?」「そりゃ、したよ」

ふぅん、という気のない合槌に似合わぬ強さで背中を抱いた香藤を、岩城が振り返ろうとする。

――それはさぞかし目に毒な光景だったろうね。

自分がはじめに見つけて大事に大事にしてきた彼の総ては、自分だけのものではない。
それは岩城自身のものであるばかりか、売り物でもあるのだ。
今更それを悔しがるでもないし、見せびらかしたいような誇らしいような気持ちにな
ることもある。美しいものを撮らせたら随一、との呼び声高い二ノ宮匡子に是非にと請われたとなれば尚更のことだ。
しかし時に、…特に目の前の背中に自分の知らない痕があるような時には、訳の分からない衝動で誰よりも大切な相手を傷つけてしまいそうになる。

「匡子さんはなんて?喜んだでしょう」
「さあ…」
岩城によると、落ち葉が舞う様子を撮りたいと、1時間近く谷風を待ったという。
その間、同じポジションを崩さないよう、コートだの毛布だのを大量に掛けられて寝転んだままだったのだとか。
「俺は、暖かくて良かったけど、コートを取られたアルバイトの子が可哀想だったな…」
そこまで話して、岩城はふと小さな笑いを浮かべた。

「そういえば、お姫さまみたいだと言われたよ」









「きれいね…、オーケイ、大丈夫です」
あちらこちらからお疲れ、と声が上がり、張り詰めていた空気がみるみるほどけていく。
モニターで一通りのラッシュを確認すると、私はようやく彼を落ち葉のベッドから解放することが出来た。
あとはこの映像と商品の映像とを合成して、テロップをつける。
BGMとナレーションは最小限に。
頭の中にははっきりと出来上がりのイメージが浮かんでいる。いいものが出来そうだ。

「匡子さん、お疲れさまでした」声をかけられて、清水女史が後ろから同じ画面を見ていたことを知る。
「こちらこそ!でも清水さん、まだ4本分撮影が残ってるのよ、まだまだこれからです」
「そうですね、でも」彼女は少し逡巡してから「でも、その…今日は随分鬼気迫ってらっしゃいました」そんな風に言葉をつないだ。

「なぜ、岩城を起用なさったんです?お訊きしてもよろしければですけど」
担当するタレントに絶対の自信を持っているはずの彼女がそんなことを訊くほどの、そんな顔を私はしていたのだと思うと笑えてきた。
「実は私、岩城さんに会うのは今回が二回目なの」まぁ、と清水女史が慌てた顔をした。
「いえ、違うのよ、前回っていっても十五年以上も前、彼がまだAV男優だったころ、」
そう、私はずぅっと、彼を撮りたいと思っていたの。





デザイナーになる夢を諦めたばかりだった、あのころ。
やっとの思いで自分の実力に見切りをつけはしたものの、デザイン以外に何も出来ない世間知らずの三十路女に開かれる門はない。
岩城京介に出会ったのはそんな時、私にとって最悪の時代だった。

当時の恋人に誘われるままに手伝っていたAVの制作会社に、彼は疲れ果てた顔をしてやってきた。ちょうど男優としての地位が確立してきたころで、下手をすると一日に複数本の撮影を強いられていたんだろうと思う。
彼は監督に従順な演じ手だった ―― つまり、優しくと言えば言われるがまま優しく、乱暴にと言えば躊躇なく乱暴に女の子を抱いた。
ただぼうっと撮影の様子を見ていただけの私にも、彼の演技が巧いことはよく分かった。
今が売り出し時の新人男優、そんな自分を演じることすら巧みだったが、カメラが止まり、役から役に移り変わるその一瞬だけ、ひどく寂しそうな表情が覗くのだ。
そんな中起こった機材のトラブル。彼には予定にない休憩時間が与えられた。

「お茶を持っていったらねぇ、彼、半裸のままソファで眠っていたの」
「あらまあ」その様子を想像したのか、清水女史がおかしがるような恥らうような微妙な表情で合槌を打った。…お堅い眼鏡にスーツ姿の癖に、あなたも案外スキなのねぇ。
「ただ座っているだけみたいな、お行儀のいい寝姿だった。だあれも見ていないのに」
安っぽい、合繊のカバーがかかった、スプリングが肌に当たる、ゴムみたいな臭いがするとスタッフが愚痴っていた、そんなソファ。
端っこで、申し訳なさそうに姿勢を正して眠る彼。
今と同じ、そのはずの滑らかな肌は、安っぽくくすんで見えた。
「きれいな男の人がつまらないものみたいに眠っているな、と思ったら何だか泣けて…、夢を諦めて始めた仕事にも居場所を見つけられない、そのころの自分に勝手に重ねてしまったのね」

その日から仕事に打ち込んだ。
映像作りのノウハウを学んだところで退社、テレビ局で五年働いて独立した。
以来CMやプロモーションビデオの制作に携わっている。
洋服も映像も同じ。贅沢なものを撮りたいと思った。
あの時とは違う。私も、彼も。
「あのソファは真っ赤だった。横たわるだけで幸せな寝台に見える、そんな今の岩城さんを撮れて幸せよ」



「寝心地はいかがでしたかね、岩城さん」
広田が後ろ頭に引っかかっていた落ち葉を払ってやっている(二人は年齢が同じだからか、中国での撮影から随分打ち解けて酒など酌み交わしていたようだ)。
「大サービスで、スプリング三割り増しにしといたよ」
「どうだろうな…」
彼は足元の落ち葉を軽くかき分けながら、悪戯めいた笑い声を立てた。
「ふかふかしていたけどね、難を言うとしたら、」
広げて見せた掌に、飴色に光を弾く秋の宝石ふたつ。

「これが痛くって背中に痣が出来てしまった」

私は今度こそ声を立てて笑った。







青年がゆっくりと寝返りを打つ。
片方の肩を厚く降り敷いた落ち葉に埋もれさせて、涅槃像のような静けさ。

風がごう、と吹き、白いシャツの上に、闇色の髪の上に赤を散らす。
赤、朱、緋、紅、銅。それはあらゆるあかいろだ。

顔の横に添えられた指先が、ふいに寝床を浅く掻く。

開かれた瞳がこちらを見るのはほんの一瞬、
かれはすぐに、かれを目覚めさせたひとを見つけたようだ…


『 壮絶な赤。    NATIONAL VIV 』








Afterword
テーマは、お題で頂いた「どんぐり」、それから「えんどう豆の上に寝たおひめさま」。
テレビ業界の端っこで仕事をしていますが、デジタル化は本当に手間です…。
読んで頂けて有難うございます。



 ririko





紅葉と言ってもそれはかなりの色数で・・・
そんな中に岩城さん・・・・さぞかし綺麗な映像だったのではないかとv
出来るなら岩城さんの背中の下のどんぐりに私もなりたい・・・笑
過去と現在が重なって、時間と空間を感じさせるお話ですv

ririkoさん、素敵な作品をありがとうございますv